限りなく薄く柔らかい膜

清水穣氏がリヒターの「ゼロ面」と呼ぶものと,フレキシブル有機ELによって「柔らかさ」を与えられたディスプレイは何となく似たものがあるようなと考えている.

映像の物質化と物質の映像化のあいだに生じる「ゼロ面」.「柔らかさ」を与えられたディスプレイは,文字通りに映像の物質化を可能にする支持体かもしれない.と同時に,物質の表面を映像がぴったり覆うことで物質が映像化する.「あいだ」なのだが,ゼロ面はどちらでもないことから生じるのに対して,「柔らかさ」を与えられたディスプレイは,どちらでもあることを生じさせる.ゼロ面はもともと存在を認めることができないで,どちらでもないことから,あとからその存在が認められる.対して,ディスプレイはもともとその存在が認められる.そこから,「柔らかさ」が認められて,映像の物質化と物質の映像化のどちらもが生じることになる.

あと気になるのは,ゼロ面が「限りなく薄い膜」のようなものであること.ここには「柔らかい」という形容詞はない.もしかしたら,「膜」という語が「柔らかさ」をほのめかしているのかもしれないが,「柔らかさ」と明示して考える事で,新しい何かが見えてくるかもしれない.「限りなく薄く柔らかい膜」と,それを現実にモノにするフレキシブル有機ELディスプレイとのあいだを考えてみること.

このブログの人気の投稿

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

デスクトップ・メタファーと「ディスプレイ行為」 

画面分割と認知に関するメモ

マジックマウスの慣性スクロール / Magic Mouse Scroll with momentum.

ヌケメさんとのトークメモ

マウスとカーソル:カーソルによる選択行為

2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1)

[インターネット アート これから]の「これから」を考えるためのメモ_06

2021~23年度科研費「生命の物質化・物質の生命化に関する理論調査と制作実践」成果報告会