画面分割と認知に関するメモ

画面分割についてのスライドを作っていて,アメリカのドラマ「24」が初期のころはよく画面分割を使って緊迫感をだしていたのに,その手法が徐々に使われなくなっていたことを Wikipedia で知る.

なぜだろうと思いつつ,マイク・フィグスの「時代×4 [About Time 2]」を見る.これは4分割された画面で同時に物語が進んでいく短編映画で,「10 Minutes Older」というオムニバスの映画のひとつである. 画面を4分割して,物語で進んでいくと,段々のそこで起こっていること全てを認知することが難しくなり,認知限界を超えることを実感した.「24」は,リアルタイムという軸があるから,ために画面が分割されても,それは空間的に離れているところで「同時に」物事が起こっていることを示すために有効だが,そこで「リアルタイム」という軸が外れてしまうと,見ているヒトは分割された画面の関係性が分からなくなってしまうのではないだろうか.そこで,「24」で画面分割が使われなくなったことには,認知限界が関係しているのではということを考えた.
24
時代×4[About Time 2]
レフ・マノヴィッチが画面分割はユーザ・インターフェイスの「GUI」からの影響であると指摘している.「ひとつのスクリーンにひとつのイメージ」というのが画面構成の論理であったが, GUI を構成する要素であるビットマップ方式のディスプレイがこの論理を破綻させたと,マノヴィッチは考えている.ビットマップ以前に,映画では電話をかける場面などで画面分割を行っていたが,大々的には行われていなかったとはいえるので,マノヴィッチの指摘には賛成である.そして,画面分割を「空間的モンタージュ」と呼び,これまでの「時間的モンタージュ」に変わるものだとし,「空間的モンタージュ」は,GUI の画面を占拠して,そこでは何も消えることがない「記憶」の場として機能していると,マノビッチは考える.
my desktop
マルチウィンドウシステムにもつながる,パーソナル・コンピュータの大元のアイデアであるヴァネバー・ブッシュのメメックスは2画面を備えた装置として描かれている.メメックスは増大する情報量に対処するために作られた装置であった.ブッシュは膨大な情報に対するヒトの認知限界を考え,メメックスを開発した.それから,アラン・ケイがマルチウィンドウシステムを開発した.ここには認知限界をどうにか解決しようという流れがある.その結果,コンピュータの画面は分割された.コンピュータの場合は,画面を制御するのは私たちであって,画面分割の軸としてリアルタイムは私たちに属している.しかし,画面分割が映画やテレビなどの映像に用いられ,そのことが情報量の増大を引き起こす.そして,その際に「リアルタイム」などの認知の軸がある場合は増大した情報をどうにか処理できるのだが,その軸がないと,画面分割が認知限界を引き起こしてしまう.だから,画面分割を「見る」だけの「24」では話が複雑になるにつれて「空間的モンタージュ」が消えていくのに対して,映像を「使用」している GUI では「空間的モンタージュ」の用いられ続けている.しかし,iPhone など携帯端末では,また「ひとつのスクリーンにひとつのイメージ」の論理が回帰してきている.だがそれは,画面の複数化によって,画面内ではなく,物理的に「空間的モンタージュ」を行うようになってきているとも考えることができる.
memex
画面分割と認知は映画・テレビなどの「見る」映像と,コンピュータの「使う」映像のあいだでは扱いが違う.そして,画面分割と認知の問題は,そのあいだでぐるぐると堂々巡りをしている.

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