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6月, 2011の投稿を表示しています

スライド:情報美学概論A 第8回|身体的想像力

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東京藝術大学 芸術情報センター:情報美学概論A
第8回 身体的想像力→レフ・マノヴィッチ|痕跡|マーク・ハンセン→スライド

メモ:コンピュータを前にした身体をめぐる想像力

参考資料
作品・映像
TypeTrace
Rigid Waves - Narcissus and Echo (1993) by Monika Fleischmann & Wolfgang Strauss
Liquid Views - Narcissus' Mirror (1992-93) by Monika Fleischmann & Wolfgang Strauss
Simon Penny - Designing Embodied Interaction: Aesthetic, Technical and Theoretical Issues
WORLD SKIN - a photo safari in the land of war - Maurice Benayoun
http://www.lozano-hemmer.com/videos.php?id=repositioning_fear
2048
書籍
The Language of New Media (Leonardo Book Series)
Critical Terms for Media Studies
Bodies in Code: Interfaces with Digital Media
ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! (ハヤカワ新書juice)
いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて

コメントのコメント
ライフログにおける「不死」は,もちろん文字通りの不死ではない.けれど,ヒトのかたちがかわってもいいということを受け入れれば,それもまた文字通りの不死になっていくのではないだろうかと思っている.というよりも,「死」という概念が変わるのかもしれない.

記憶の中におじいさん,おばあさん,太郎が居続けることと,デジタルデータで彼・彼女が居続けること.それは同じなのかどうか.記憶と記録というありきたりな問いのような気もするけれど,記録の量がある閾値を超えたときに,記憶とはまた別の意味で,そこに膨大な量の記録があることの意味が変わってくると思われる.膨大な記録と鮮明な記憶とがお互いに共生して…

スライド:映像文化 第7回|エモーション・キャプチャーと3D

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愛知淑徳大学 映像文化
第7回 エモーション・キャプチャーと3D→スライド

参考資料
映像
アバター公式サイト
アバター ブルーレイ版エクステンデッド・エディション(本編3種収録)(初回生産限定3枚組) [Blu-ray]
3D in 3 minutes
CM 任天堂 バーチャルボーイ [ VIRTUAL BOY ]

書籍,テキスト
3Dの時代
Future cinema―来たるべき時代の映像表現に向けて
展覧会:Future CInema
『アバター』と3D表現
社長が訊く『ニンテンドー3DS』
ニンテンドー3DS
人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (中) (NHKブックス)



講義を終えて
エモーション・キャプチャー+3D,もしくはニンテンドー3DSのメガネなし3Dよって,3Dが技術的に更新されて,私たちの身体感覚に新しい「何か」を付け加えるようになっている.それによって,私たちの世界認識も変更される.

アバターのメイキングを見ると,カメラが切り取ってきた光学的世界が,センサー+アルゴリズムによる世界に置き換わっていく様が,とても不思議なリアリティをもって体感できる.

スライド:情報美学概論A 第7回|メタファーからリテラルへ:カーソルをめぐる冒険

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東京藝術大学 芸術情報センター:情報美学概論A
第7回 メタファーからリテラルへ:カーソルをめぐる冒険→スライド

講義に関連するテキストとメモ
あいだを移行する「↑」:エキソニモ《断末魔ウス》,《↑》におけるカーソルの諸相
メモ:カーソルはメタファーではない

ヒトとコンピュータとのあいだの図式的知覚を精査して,真正的[リテラル]知覚を把握していくこと

カーソルめぐる3つの作品
渡邊恵太《自己喪失》2002
エキソニモ《断末魔ウス》2007
エキソニモ《gotexists.com》2009

参考資料
生きていることの科学 (講談社現代新書)
属性
接続された心―インターネット時代のアイデンティティ
サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+ 東浩紀アーカイブス2 (河出文庫)
スタイルの詩学―倫理学と美学の交叉(キアスム) (叢書 倫理学のフロンティア)
創造性の宇宙
メディアの実験集「モノサシに目印」 コトバ/デザイン/アソビ (Web Designing BOOKS)
行動を説明する―因果の世界における理由 (双書現代哲学)
Web Designing (ウェブデザイニング) 2010年 07月号 [雑誌]

コメントのコメント
カーソルについての講義のコメントに対するコメント

終えて
エキソニモ《断末魔ウス》からどうしても離れられない.秋庭史典『あたらしい美学をつくる』に出てくるの,自然計算に基づいたあたらしい美学の枠組みにもとても惹かれるのだけれど,エキソニモの作品群はそこから少しはみ出たところにあるのではないだろうか.エキソニモの作品群は計算に基づきながら,いや基づくからこその「痛み=傷み」を生み出し,そこから「痛み=痛み」を伴った「永遠に死なない存在」を提示しているような気がする.

もちろん秋庭さんの枠組みは「美」のありかを示すものだから,個々の作品において,そこから逸脱していることをどうこういうのは的外れのことなのだけど.でも,秋庭さんの示す枠組みとの距離を確かめることで,エキソニモの作品群の位置が明確になるような気がするし,それはまたエキソニモの作品群に強く惹かれている自分の立ち位置の確認にもなると思う.

スライド:映像文化 第6回|緑の映像:映像はどこまで合成されているか?

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愛知淑徳大学 映像文化
第6回 緑の映像:映像はどこまで合成されているか?→スライド

参考資料
書籍
SOFTWARE TAKES COMMAND (book draft)
映像
マトリックス 特別版 [DVD]
マトリックス リビジテッド [DVD]
Final Cut の導入事例
ChromaKey
インセプション Blu-ray & DVDセット (初回限定生産)

終えて
実写×アニメーション×CGの三すくみで「映像」を作っていくことに慣れていっているんだと思った.領域横断とかいう言葉ではなくて,分野を超えてでもなくて,ただ「映像」を作ることの中に,実写があり,アニメーションがあり,そしてCGがある.これが当たり前のようになってきているということを感じた.

スライド:情報美学概論A 第6回|インタラクティヴィティとメタファー:イメージを操作してシンボルを作る

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東京藝術大学 芸術情報センター:情報美学概論A
第6回 インタラクティヴィティとメタファー:イメージを操作してシンボルを作る→スライド

第4章 カーソルによる選択行為と「ディスプレイ行為」:マウスとメタファー
(私が書いた博論で「メタファー」について考えた章)

関連するメモ
インタラクティヴィティとメタファーに関するメモ
メモ:インタラクティヴィティとメタファー(2)

参考資料
メタファーの記号論 
メディアアートの教科書
科学と芸術の対話―マルチメディア社会と変容する文化〈02〉
ICC インタヴュー・シリーズ 33:ジェフリー・ショー
電子美術論
ヒューマンインターフェースの発想と展開―人間のためのコンピューター
Designing Interactions
消えゆくコンピュータ (〈叢書〉インターネット社会)
接続された心―インターネット時代のアイデンティティ
身ぶりと言葉
アラン・ケイ (Ascii books)
メタファー関連
レトリックと人生
メタファ-思考 (講談社現代新書)

コメントのコメント
仮想世界における身体感覚というのを,私たちは少しづつ実感しつつあるように思われる.今回の講義で「感覚の蓄積」という言葉を使った.それに対して「感覚の蓄積=ゲーム脳?」というコメントが書いてあった.「ゲーム脳」は悪い意味でも使われることが多いが,ディスプレイ上のイメージに身体全体で反応する回路が脳と身体で作られつつあるとしたらどうだろうか.それはある意味,仮想世界に対する反応であり,物理的には直接的に触れることができない世界に対する反応ではないだろうか.私たちは常日頃,コンピュータを使うようになり,ビデオゲームをするようになっている.そこで起こっていることは,イメージに対して身体的に反応するという,今までの人類の歴史にはなかったことである.私たちは,今まで知らなかった世界にあっという間に慣れてしまっている.それはヒトの脳及び身体感覚がとても可塑的なものであるからだと思う.ヒトは何にでも慣れてしまう.私たちは仮想世界をメタファーで探索しているうちに,その世界の感触を確かめることなく慣れてしまったのではないだろうか.現在のメディアアートはその「慣れ」にちょっとした異化作用を加えようとしている.

メディアアートの講義で「メタファー」を取り上げたのは,私が知りたいのが「メディアアートとは何か?…

スライド:映像文化 第5回|画面分割と認知

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愛知淑徳大学:映像文化
第5回 画面分割と認知スライド

画面分割と認知に関するメモ

参考資料
書籍
The Language of New Media (Leonardo Book Series)
思想としてのパソコン
情報環境論集―東浩紀コレクションS (講談社BOX)
映像
24 -TWENTY FOUR- シーズン1 (SEASONSコンパクト・ボックス) [DVD]
10ミニッツ・オールダー コレクターズ・スペシャル [DVD]
マイク・フィグス 時代×4[About Time 2],2002 【字幕なし】

終えて
複数化した映像をつなげることで「今」を確認するというのは,Twitter のRTとかもそうかなと思いつつ書いてみた.認知限界のぎりぎりまで自分を持っていて,そのきわで「今」を意識する.それはマーク・ハンセンがビル・ヴィオラの作品を用いて指摘していた「「今」を情報で過飽和にして,拡大する」ということとも異なる「今」の,しかも技術的に支えられた「今」の捉え方なんではないかと思っている.複数化する「今」と微小化し,拡大していく「今」との対比.どちらにしても,ヒトの認知限界がつきまとう.

マイク・フィグスの作品は,ほとんどの学生が理解不能であった.

カーソルについての講義のコメントに対するコメント

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カーソルは「身体の拡張」なのか,身体そのものなのか.拡張だとしたら,今までの道具と同じように感じだし,身体そのものだと考えると,なんか得体の知れないものだとも思える.私はカーソルは単なる身体の拡張では片付けることができないものだと思っています.道具が身体の拡張で外側に向かっていき,コンピュータは神経系の拡張で内側に向かっていくと言ったのは,マーシャル・マクルーハンですが,カーソルはそのどちらでもある.だから,身体の拡張でもあり,神経系の拡張でもある.神経の拡張ということで,拡張した身体に実感がともなう.それはもう拡張ではなく,身体そのものではないだろうか.たとえカーソルの形が「↑」という,ヒトの身体のかたちとはかけ離れたものであったとしても,そこにあるのは紛れもなく身体そのもの,コンピュータを前にしたヒトの身体のそのもの.スティーブ・ジョブスが iPhone の発表会で,ヒトの指が最高のポインティング・デバイスと言ったとき,カーソルはヒトの身体として承認されたのかもしれない.と同時に,画面かカーソルが消えた.画面上にあったカーソルが,身体に取り込まれていること.
私たちは身体の一部を突如,なんの痛みを感じることもなく失うことはできない.しかし,カーソルは失われる.痛みを伴わない消失.しかし,そこに痛みを感じてしまうこと.もちろん,実際の痛みとはことなる.でも,そこには確かに消失にともなう感覚が広がる.「痛み=傷み」として生じる「何か」.このような感覚に近いものを,以前,藤幡さんは「ヒューララ感覚」と呼んでいた.「ヒューララ」と「痛み=傷み」.字面はだいぶ違うような気がする.ユーモアあふれる「ヒューララ」とは異なる「痛み=傷み」.ただし,そこに何かしたら違和感があることにはかわりがない.
この違和感は,仮想と現実がひとつづきになっていることに気づくことだと思う.そして,仮想では私たちの身体は,現実にある身体のかたちをしていなくてもいい.かたちなんてなんでもいい.かたちなんて何でよくなってカーソルとなった私たちの身体が,再び身体を求めて,帰ってきても,そこで求められているのは身体ではなく,単なる「痕跡=ログ」を記すものである.

スライド:情報美学概論A 第4回|ユーザ・インターフェイス|メディアアート|インターネットの歴史 1984ー1998

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スライド:映像文化 第4回|テレビ:同じ時間にみんなで見るから,共有の場へ

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