スライド:情報美学概論A 第10回|情報としての自然

東京藝術大学 芸術情報センター:情報美学概論A
第10回:情報としての自然→スライド

参考資料
展覧会
オープン・ネイチャー:情報としての自然が開くもの
ミッションG:地球を知覚せよ!映像
書籍
Virtual Art: From Illusion to Immersion (Leonardo Book Series)
電子美術論
コンピュータ・グラフィックスの軌跡
FORBIDDEN FRUITS―藤幡正樹作品集
Critical Terms for Media Studies
オープン・ネイチャー―情報としての自然が開くもの
JunCture〈01〉―超域的日本文化研究
あたらしい美学をつくる

コメントのコメント
今回の講義で扱ったことは,私自身がこれから向い合っていかないとならないとために,だいぶ詰め込みすぎてしまいました.申し訳ないです.また,みなさんからのコメントからのフィードバック,大変ありがたいです.

アルゴリズムを記述する作家は「神」であったのかもしれません.しかし,徐々にその座が降りているようにも見えます.それは講義でも示した,世界との関係の中でのヒトの立ち位置の変化の中に作家もいるということではないでしょうか.アルゴリズムを記述していても,それがすべてを決定しないような作品が増えてきている.それは,明確な入出力を必要とするインタラクションではない,曖昧な,とても間接的なインタラクションの作品なのではないでしょうか.

建築でも,音楽でも何が自然かは問題になって,その自然が徐々にアルゴリズムで捉えられるようになっている.しかし,「自然+アルゴリズム」を「自然」と捉えるかどうか.「アルゴリズム」という言葉の中に,身体=感性が含まれているのか否か.

秋庭さんは「感性」などの主観から離れたところにも「美」があるということを「ナチュラル・コンピューティング」という自然科学に寄り添うことで示しています.そこでは「フォルム」ではなく「アルゴリズム」が,世界を認識するための大きな役割を担うことになっています.

まだ自分の中でもうまく考えられていないのですが,四方さんや秋庭さんが示している世界認識の方法では,エキソニモの《断末魔ウス》のときに示したような「痛み=傷み」を捉えることができないのではないかと思っています.でも,《断末魔ウス》を捉えるためには,秋庭さんが示した枠組みを経由する必要はあると思うのです.世界を認識するときに,直接「痛み=傷み」を感じる,つまりまずは「感性」で捉えるのではなく,まずは「アルゴリズム」で認識して,その後「あえて」また「感性」を拠り所に世界を認識する.ヒトの認識を「アルゴリズム」を経由して,あえて「痛み=傷み」を感じるように誘導すること.自分の中で作品の認識を「アルゴリズム」経由して「痛み=傷み」に受け渡すこと.

終えて
ますますわからなくなってきている.ただ「受け渡す」という言葉だけが気になっている.「受ける」+「渡す」.受動と能動.そのつながり.なめらかなつながり.「受ける」→「渡す」と「+」を「→」に変えてみると,また異なる印象.一連の流れ.「受けた」時点で,「渡す」ことが決定しているような感じ.ひとつのアルゴリズム.アルゴリズムに必要な「→」.「情報の流れとしての自然」≒「◯→△」.「→」で何が起こっているのか?

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