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お知らせ:[インターネット アート これから]──ポスト・インターネットのリアリティ

ICCでやっている[インターネット アート これから]──ポスト・インターネットのリアリティという展覧会に「『ポスト・インターネット』の質感」というテキストを書きました.
ICUという全くアート系ではない大学で,しかも国際関係学科というところで,三上晴子さんの《存在,皮膜,分断された身体》についての卒論を書いたのが,2000年.それから12年.ICCの展示空間に自分のテキストが掲示されるとは,ほんの2週間前までは考えられないことでした.
以上,お知らせでした.展示から多くの人が[インターネット アート これから]を考えてくれたらいいなと思います.自分もまだ多くのことは考えることができていませんが,少しづつ考えていこうと思います.「これから」が大切な展覧会です.

Watching Martin Kohoutを見続ける

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マーティン・コーホウトMartin Kohout による Watching Martin Kohout.これはコーホウトがYouTubeで映像を見ている自分自身を撮影した作品.YouTube で何を見ているのかは,映像のタイトルに書いてあり,例えば,Watching Radiohead - Lotus Flower (Music Video) となっている.コーホウトがYouTubeにあるひとつ映像を見ているのを撮影したものが,彼のチャンネルに821本ある.この821本は,2010年4月から2011年3月までのあいだに作られている.

上に例としてあげたレディオヘッドを聴いている映像は,このコーホウトが映った映像をまたコーホウトが見ているのを撮影したWatching Watching Watching Radiohead - Lotus Flower (Music Video) があるし,さらに,Watching Watching Watching Watching Radiohead - Lotus Flower (Music Video) もある.上の作品には「映画「インセプション」を思い出させる」というコメントまでついている.他にも Watching Martin Kohout の映像を他の誰かが見ているという映像も上げられている.例えば.Watching Martin Kohout Watching Cats Playing Patty-Cake.恐らく,一部ではコーホウトはアイドル的な扱いも受けているのではないだろうか.
 映像を見ているコーホウトはほとんど動かないし,笑わない.でも,ちょっとした変化はある.その変化は,Watching Martin Kohout でチャンネルでの映像紹介でのサムネイルを延々と見ていくだけもわかる(というか,821本すべてを見ることは,私にはできませんので….個人的には,このサムネイルを延々と見ていくのは好きです)けれど,基本,動かない,笑わないコーホウトを見続け,YouTubeから流れる音を聞き続ける作品.
「見る−見られる」という関係を扱った作品は,ビデオアートの初期から作られている.例えばヴィト・アコンチ,そしてそれを原発でやった指差し男:竹内公太.しかし,コーホウトには上の作品が示しているような思想とか社会問題への…

Marisa Olson:ポスト・インターネットとアップグレード・カルチャー

(ブログのタイトルにもしておきながらOlsonの「upgrade culture」を確かめもせずに,大きな思い込みのまま「アップデート・カルチャー」としてしまっていたので訂正.よく考えれば,Olson が考えているのは「モノ」だから「アップグレード」の方がぴったりくる.私の考えは「モノ」というよりは,「モノ」と「イメージ」というかソフトウェアとの関係をメインに据えたいので「アップデート」にしてしまったのだろう.反省)

Marisa Olson  が「ポスト・インターネット」という言葉を使ったので,この人の作品紹介をしてみたい.作品紹介というよりは,Olson は作家でもあり,キュレーターでもあり,批評家でもあるといったように多彩な人みたいです.
「ポスト・インターネット」という言葉を使ったインタヴューで印象に残ったのは,「作品を作るのにテクノロジーを使っているかどうか区別をつける必要はなくて,もうすべてがテクノロジーなんだし,みんながすべてのことをするのにテクノロジーを使っている」というような言葉.そのあとで,「ポスト・インターネット」という言葉がでてくる.となると,みんながインターネットを使っていて,すべてとは言わなくても,多くことをインターネットでやっているのだから,声高に「インターネット」と区別しなくてもいい状態が「ポスト・インターネット」の状態にということになるだろうか.
ドラッグ&ドロップでネットから集めてきた画像をフリッカーにアップしつづけている IMG_FAN は作品と言えるかどうかはわからないし,今だったら tumblr で同じことをしているひとはたくさんいそうです.
彼女は「アップデートグレード・カルチャー」ということを言っている.それは.テクノロジーが次々にあたらしいガジェットに更新されていくということ.私たちは音楽を聞くのにカセットプレイヤーにカセットを「食べさせて」音楽を聴いていたのに,今ではMP3のデータをiPod で聴いている.そうして,カセットやレコード,CDといった一時代を築いたテクノロジーを忘れていく.「アプデートグレード・カルチャー」をテーマに行ったパフォーマンスがGloden Oldies で,その抜粋がYouTubeに上がっています.(「埋め込み」できなかったのでリンク)
この作品の中では,カセットやVHSなどが金色になって…

『魂と体,脳』を読んだ

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西川アサキさんの魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題 (講談社選書メチエ) を読んだ.ライプニッツやドゥルーズのアイデアを実装していくことでみえてくることが書いてある.とても興味深いが難しかった.しかし,「実装」というところから見えてくることが,「世界実装の方法」と言えるかもしれない.
「この図は奥行きをもたない,平らな単なるネットワークとなる(p.263)」とか,「階層的立体構造からフラットなネットワークへの変化(p.264)」とか,Gallowayのインターネット論(→Protocol: How Control Exists after Decentralization (Leonardo Books) )における水平(TCP/IP)・垂直(DNS)構造を介して,カーソル論に結びつけらそうなヒントもあった.でも,難しいところが多かったので,あと5回くらい読まないといけない.
追記 西川さんもGallowayも,ドゥルーズをもとにしているから,「立体~フラット」「垂直~水平」という似たような構造がでてくるのも当然なのかもしれない.Gallowayがインターネットという半ば意図せずにして出来上がった構造体もしくは生態系について「垂直~水平」の構造をドゥルーズを介して見出しているのに対して,西川さんはドゥルーズに即してシミュレーション・モデルを組み立てていった先に「立体~フラット」という構造を見出していることは興味深い.意図せずに実装されたインターネットがドゥルーズで読み解け,ドゥルーズの意図に沿って実装されたモデルが,インターネットと同じような構造で読み解くことができる.この関係は興味深い.