それは「場所」ではない,もしくは,それは「選択範囲」ではない

Michael Manningの《This is Not A Place》(2013)とJan Robert Leegeの《Selection as an Object》(2013)

This is Not A Place
Selection as an Object

Michael Manningの《This is Not A Place》は,ルネ・マグリットの《これはパイプではない》みたいな感じでしょうか.作品のサイトに行くと,パソコンやスマートフォン,タブレットの画像が積み重ねられ,それらのフレームのなかに「場所」の画像が表示されていて,その画像を連想させる音が再生されます.カーソルをフレームの中の画像にあわせると波紋が広がります.フレームの中の「場所」は画像でしかないし,そのフレームもまた画像でしかない.フレームも画像でその中も画像ですが,波紋のひろがりはフレームの画像でとまります.なので,波紋がフレームの画像となかの画像とは異なる次元にあることを示していますが,それらすべてが画像でしかありません.パソコンなどの画像の他に表示されている「花」もまた画像でしかありません.

Jan Robert Leegeの《Selection as an Object》のサイトにいくと,選択範囲を示す点線が表示されていて,それが背景に影を落としています.選択範囲が「影」をおとす「実体」として扱われています.《Selection as an Object》の方が《This is Not A Place》よりも,メタな感じがします.画像を選択するためのツールが示す画像に「影」を付与することで「実体化」がされています.選択範囲は「影」がなくても「画像」として表示されているわけだから「実体化」しているとも言えます.しかし,それだけだとそれは見えてはいるけれども「画像」でもなくて,「選択範囲」という「機能」でしかないのかもしれません.「影」がつくことで,選択範囲はひとつの「画像」であることを示しつつ,「実体」をもつかのような感覚を見る者に与えるようになっています.今まで使ってきた「機能」が,突如ひとつの「画像」及び「実体」になってしまうのは,とても不思議な感覚です.

Michael Manningの《This is Not A Place》とJan Robert Leegeの《Selection as an Object》が示している感覚は,ラファエル・ローゼンダールの《looking at something》にちかい感じがします.《looking at something》に絡めて,以前私は次のように書きました.

「何か」は「自然」ではない.だが同時に,ふたりのアーティストはその「何か」は「自然」に近いものだと感じている.だから,「自然」のモチーフを借りて表現せざるを得ない.そして,これらの作品を見る私たちも,そこに「自然」や「もうひとつの自然」を認めたくなってしまう.しかし,ここで求められているのは,見ているものが「自然」というメタファーでは捉えることができない「何か」でしかないということを認めることなのである. 
そこに見えているのは「雷雨」か,それとも「何か」か?

今回のふたつの作品も,ラファエル・ローゼンダールのようにコンピュータによって生じる現象を「自然」に近いものに感じていて,その感覚を抽出するために作品をつくっているように感じられます.Michael Manningの《This is Not A Place》は「メタファー」を使いつつ,それをタイトルで否定するという,ある意味古典的な手法を使って,上記の感覚を抽出するのに対して,Jan Robert Leegeの《Selection as an Object》は,その抽出の仕方がとても直接的な感じがします.「影」をメタファーとして使うのではなく,「選択範囲」と直接結びつけてしまいます.ウィンドウの重なりを示す「影」が現実世界を類推させるひとつの「メタファー」だとすれば,《Selection as an Object》の「影」は「メタファー」として世界と選択範囲の点線の囲いとつなぐように機能しているわけではなく,もっと即物的な感じを覚えます.ラファエル・ローゼンダールが《looking at something》としたように,「何か」としか言えないもの,未だ名づけることができない現象を見せつけられている感じがするのです.

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