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ISEA2014へのアプライがアクセプトされました!

ISEA[電子芸術国際会議]2014に「インターネットヤミ市」について の発表を申し込んだら通りました! ヤミ市には1,2回に参加したので参加者視点もだせると思うし,IDPWの人たちにインタビューしに行けたりもすると思うので,とても楽しみです.ちなみに,ISEA2014はドバイで開催されます.中東にいくのははじめてです!

以下,応募したアブストラクトです.
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A relationship between the Internet and the physical for the art
[アートにおけるインターネットとフィジカル(物理)との関係性について]

I want to discuss some differences between English language regions and Japan about a relationship of real world and online one. A difference between 'Send Me the JPEG' at Winkleman Gallery and 'the Internet yami-ichi [the Internet black market]' shows each relationship between the Internet and the physical for the art in English language regions and Japan.
[私はリアルとオンラインの関係について英語圏の地域と日本とのいくつかの違いを考えたい.Winkleman Galleryの'Send Me the JPEG' インターネットヤミ市とのあいだにあるちがいは英語圏と日本でのアートにおけるインターネットとフィジカル空間との関係のちがいを示している]

'Send Me the JPEG' is the satirical exhibition for the art world trend from the physical to the online. Art correctors tends to skip the physical contact of the artwork, and …

アンドレアス・グルスキー展を見て,谷口暁彦さんの習作《live-camera stitching》を思い出しました

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名古屋から神戸に引っ越しました.それで国立国際美術館にアンドレアス・グルスキー展を見に行きました.グルスキーの作品を一言で言うと「大きい」.それは写真として「大きい」ということですが,とにかくに大きい.普通の写真を見る距離でグルスキーの縦構図の作品を見ると見上げるかたちになるので,クビが痛くなります.このあたりはとても重要かと思われます.神の視点の前ではヒトは小さなものだなと,クビの痛みともに感じられるからです.

といっても,グルスキーも神ではなくてヒトですから,その大きな作品を「チチンプイプイ」と言って簡単につくっているわけではなく,コンピュータで複数の画像をくっつけてつくっているわけです.


パリのモンパルナス地区に位置するアパルトマンを捉えたこの作品は,グルスキーがデジタル技術によるイメージ加工を始めた頃に制作されました.二つの撮影ポイントから映された画像を組み合わせて一つの画面を作り出すことで,写真家は,建物の全体を正面から眺めることができ,かつ,アパルトマンの窓の中の一つ一つの世界を見ることの出来るイメージを完成させました.アンドレアス・グルスキー展パンフレット(国立国際美術館) 
ふたつ以上の視点が入り込むから作品を見ていると混乱してきます.「あっちの視点で見ていると思ったら,いつの間にかこっちの視点に移動している」ということを写真でやられると僕の視覚はついていけずに混乱して気持ち悪くなったりしました.でも,グルスキーの作品で多い神の(上からの)視点において気持ち悪くなることなく,首の痛みだけを無視すれば自分も神になったような感じを味わっているような気がします.「神のような感覚」を味あうだけなら,グルスキーではなくて,もっと広大な俯瞰視点をとれて,自由に動き回れるGoogle Earthの方がいいかなという感じでもあります.グルスキーとGoogle Earthを比較するなんてと思うかもしれませんが,これらは「画像」として同等なものだと思います.


上の画像は「アンドレアス・グルスキー」とGoogleの画像検索してみたものです.なんで画像検索をしたかというと,多く人がこんな画像でグルスキーの作品を見ていると思われるからです.グルスキーの作品をネットで見るとちっとも大きくありません.クビも痛くなりません.神の視点とか感じないで,Googleさんの方に「神」を感じるよ…

「指を置く」展のギャラリートークのスライドと資料

大阪のdddギャラリーで開催中の「指を置く」展で齋藤達也さんと「コンピュータにとっての『指を置く』」というタイトルのトークをしました.

スライドをつくっているなかで「スピリチュアリティ」という言葉がでてきて,その言葉に引っぱられて大分「あやしい」感じの発表になっています.でも,結構本気でもあります.

発表を聞いていただいた来場者の皆さん,的確なツッコミをしてくれた齋藤達也さん,そしてdddギャラリーの皆さん,本当にありがとうございました.

以下が発表の資料です.

スライド
コンピュータにとっての「指を置く」

資料
Bret Victor, A Brief Rant on the Future of Interaction Design, 2011
iPhone Presentation macworld 1/5 日本語字幕 スティーブ・ジョブズ_05m20s
インターネット・リアリティ研究会:アーティスト・トーク+座談会
作品
エキソニモ
《断末魔ウス》2007
《gotexists.com》2009

Rafaël Rsemdaal
《on and off .org》2003
《invisible cursor .com》2008
《out in the wind .com》2009
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今回の発表に関連する以前のテキスト
「INFOspirit」という大きな構造体のなかで「神」が顕現する条件
見ているモノが触れているモノか?_pdf

お仕事の告知:大阪のdddギャラリーで「指を置く」展のギャラリートーク

大阪のdddギャラリーで開催中の佐藤雅彦さんと齋藤達也さんによる「指を置く」展のギャラリートークに出演します!

お時間がありましたら,是非お越しください!!!

「コンピュータにとっての『指を置く』」
日時:2014年3月25日(火) 5:00-6:30p.m.
出演:齋藤達也+水野勝仁(インターフェイス、メディアアート研究者、4月から甲南女子大学講師)
会場:なんばSSビル
定員:70名 入場無料
3月10日(月)より受付開始します.
※参加ご希望の方はこちらよりお申込いただけます.

「光るグラフィック」展から考えた「光」への感受性

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光るグラフィック」展を見てきた.タイトル通りグラフィックが光っていた.「光」を放つというだけで,それが動いても動いていなくても,どこかモノとしての重さから離れていたような気がした.だから,光るグラフィックは動いて当然で,中村至男さんの作品のようにグラフィックが動かないとそれだけで注目してしまう.少し前に「モーション・グラフィック」がでてきてグラフィックが「動く」ということが強調されていたが,それとは違う段階に入ったのかなと思った.このことは宮越裕生さんによるインタビューでラファエル・ローゼンダールさんも同じようなことを言っている.

- 今回のテーマは「光るグラフィック」ということですが,そういったアイデアは以前から意識されていましたか?  僕の表現の中に,そういった側面はあったと思います.ただ今回,田中さんのキュレーションによってその側面がある文脈に入り,色々なことに気づかされました.たとえば静止画であっても動画であっても,その絵の後ろから自分に向かって光が投影されている.そういう時代なんだと思いましたね.宮越裕生さんによる「光るグラフィック展」レポート 
動く,動かないに関係なく光るグラフィックが当たり前になってきた今だからこそ,今回の展示を構成する「RGB/CMYK」というグループ分けが可能になったといえる.いや「光るグラフィックが当たり前」と書いたけれど少し違うかもしれない.「RGB」や「CMYK」の違いということはデザイナーの人は常に意識してきたはずであって,それは紙であれウェブであれ変わりはないだろう.そういった意味では「RGB」と「CMYK」の違いはだいぶ前から当たり前であったわけで,これらの違いを「光るグラフィック」というフォーマットで一度同じ平面に置いてしまおうとする意識が出てきたのが2014年ということになるのかもしれない.だから,セミトランスペアレント・デザインの田中良治さんがその意識を具体化させる展示を実現させたことはとても重要になってくる.田中さんを含め制作側からの意識にキュレーターや研究者は追いついていけているのだろうか.あるいは別の視点をあなたたちは出せますかと求められている感じもする.

ということで,別の視点を出せるかどうかわからないけれど,今回の展示で気になったふたつの作品,新津保建秀さんの《frame / camera obs…

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_21

記事を書きました→Googleの新プロジェクト「Tango」と、Holly HernDon氏と谷口暁彦氏によるミュージック・ビデオ「Chorus」に見る「3Dモデリングという表現」の可能性

Googleの新プロジェクト「Tango」によって「3Dモデリング」という手法が表現のプラットフォームになっていくときにおそらく見えなくなっていくであろう「裏からの視点」というものを,Holly HernDon氏と谷口暁彦氏によるミュージック・ビデオ「Chorus」が示しているのではないか,ということを書きました.

谷口さんが行っている写真を撮るように3Dモデリングをしていくという行為[→日々の記録]は,ヒトとコンピュータがともにつくりだす「多視点性」という点でとても興味深い.「多視点性」というのは,ヴィレム・フルッサーがカメラとともにあらわれたテクノ画像の領域では,より多くの視点を取ることが重要になってくると指摘していたことを意識しています.谷口さんが行っていることはカメラ単体では不可能であったし,ヒトも見たことがなかったモノの「裏」からモノを見るというか,モノの表即裏という視点をつくりだしている点で,ひとつ視点をつけ加えているものだと思います.それは「3Dモデリング」にはつきものの視点であるから,谷口さんのオリジナルなものではないかもしれないけれど,日常の中にこの視点を取り入れるという視点がとても新鮮であり,モノの表即裏というコンピュータの演算によって生み出される視点を際立たせているのではないか,と私は考えてます.

カレントのテキストでは「親密さ」という言葉も出てくるのですが,それはヒトとコンピュータとがつくりだす世界における「親密さ」は「3Dモデリング」に現れる/記録されるのではないかということです.