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お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_22

今年度もメディア芸術カレントコンテンツで記事を書くことになりました.よろしくお願いします!

今回は「カオス*ラウンジによる展覧会「LITTLE AKIHABARA MARKET」が開催」という記事を書きました.

今,「インターネットヤミ市」を中心にネットとリアルとの関係のなかの「マーケット」について考えているので,カオス*ラウンジが展覧会のタイトルに「MARKERT」とつけていたのでとても興味をもった次第です.なので,以下のテキストも入れようかと思いましたが,今回はどうもしっくりこないので外しました.

*カオス*ラウンジと並行して,リアルとネットとを等価な場として活動をつづけるインターネット秘密結社IDPWによる「インターネットヤミ市」や,ラファエル・ローゼンダール氏によるプロジェクターをもちよって作品を自由にプロジェクションする「BYOB」,そして,USBメモリやDVDドライブなどオフラインでのデータのやり取りのなかで作品の配布を行ったりするAram Bartholl氏の「Dead Drops」や「OFFLINE ART」など,インターネット的感覚を多分に自らに取り入れた作家・集団が独自のフォーマットをそれぞれつくりだしていることはとても興味深い.

《Ryder Ripps Facebook, 2011》を全部見てみた

ライダー・リップスの《Ryder Ripps Facebook, 2011》を全部見てみた.《Ryder Ripps Facebook, 2011》は2011年11月1日までのリップスのFacebookのすべてをアーカイブしたという作品です.作品のタグにあるようにまさに「ファイルとしての自分[self as file]」な感じな「厚み」と,他人の人生の一部を見続ける徒労感を味わいました.

RhizomeのThe Downloadというプログラムでも提供されています→http://rhizome.org/the-download/2011/nov/

http://t.co/dWzY4jcrKK 延々とスクロールしている
— mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014

まだまだスクロールしている http://t.co/dWzY4jcrKK
— mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014

女子大生の人生楽しい感じのツイートを横目に,僕はライダー・リップスという人の人生=Facebookを延々とスクロールしている.
— mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014

Ryder Ripps ❤♡◠‿◠ฺ♡❤ ━► HAPPY VALENTINES! February 14, 2011 at 14:36 Friends って,リップスも楽しそうだ…
— mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014

リップス? うなだれている… pic.twitter.com/M4dhAppcUn
— mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014

リップス,何かはじめたらしい. February 13, 2011 at 3:36 Only Me pic.twitter.com/bs8XNBskI9
— mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014

リップス,母から February 12, 2011 at 15:25 Only Me pic.twitter.com/7G75W3r6r2
— mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm…

トークしてきました

三輪健太朗著『マンガと映画 コマと時間の理論』刊行記念トークショー「メディアの狭間から考える」 に出て,トークしてきました.

私の役割は「マンガ・映画以後」ということで,三輪さんが著書のなかで「フレームの可変性」ということ言っていて,でも,マンガでは読者が「コマ」を直接は変えられないよねということで,ブラウザのウィンドウの可変性を強く意識しているラファエル・ローゼンダールさんの作品を紹介しました.

トークではうまく話せませんでしたが,ローゼンダールさんは初期のアニメの「動き」も強く意識している作家です.感覚的に気持ちいい「動き」をとても考えていて,自身のブログにいくつかテキストを書いています.初期のアニメについてはトークでも増田さんが取り上げていたので,この辺りからもネットアート,もしくはブラウザ上の表現と「マンガと映画」を考えることもできたかもしれません.

いつもながら,自分のトークには反省だらけですが,司会の松谷さん,岩下さん,増田さんのそれぞれの専門からの問題提起,そしてそれに対して見事に応答していた三輪さんのおかげでとても刺激的な時間を過ごすことができました.ありがとうございました!

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最後におまけと自分のためのメモ
トークでのスライド(ボツスライドつき)
ウィンドウって,大きさを変えられますよね?

最初はクワクボリョウタさんの影絵シリーズも取り上げようと思っていました.クワクボさんは影絵をメディアとして使いながら,「フレーム」をなくしつつ線路という一本のラインに沿って「物語」を想起させる作品形態から,影をフレームで区切り,ループした抽象的な表現へと変化させました.この変化は「コマ」と近代の時間性と関係があるのかどうかを考えていました.

また,ローゼンダールさんは可変的なフレームをもつ抽象的な非物語的な表現を行い,クワクボさんもフレームをつくることで影を抽象化して非物語的な表現を行っています.あと,拡大縮小自由な影は「ベクター」画像になるでしょう.色彩は全く異なりますが,このふたりは作品が「クリーン」な感じも似ている感じがあるので,また改めて考えてみたいです.

ISEA2014_500w_2_in English

[Hi, nice guys in the internet! please check my English!]

ISEA2014_500w_2_in English

According to Julian Stallabrass' 'The Aesthetics of Net.Art,' net.art has no aesthetic attention because it does not have a material form.  Recently, contemporary art is becoming the immaterial. It is natural that the contemporary art is entering or stepping on the internet  at the point of immateriality.  Furthermore, Stallabrass described that; "The ‘objects’ of Internet art are far from being conventional art objects. They are not only reproducible without degradation but are almost free to transmit (or rather, once the initial outlay has been made, the marginal cost of each transmission is close to zero)." This point is concerned with the immateriality of art; the internet art can show art works anywhere as  almost perfect copies because of its immaterial nature. Internet art has no "original"; it is a huge difference from contemporary art that must have the origina…

ISEA2014の500w_アブストラクトのためのメモ_2

Julian Stallabrassによれば,ネットアートは非物質せいゆえに美学的アピールが弱いとされてきた.しかし,コンテンポラリーアートもどんどん非物質性を帯びるようになってきた.となると,コンテンポラリーアートがインターネットに参入・介入してくる流れは「非物質性」という点では既定路線だったと考えることができる.

Julian Stallabrassはインターネットアートの「オブジェクト」と従来のアートのオブジェクトとは全く異なっていると指摘する.その理由は,劣化なきコピーが可能であるだけでなく,移送のコストがほとんどかからないということであった.これは「非物質性」と大きく関わってくるところである.ネットアートは「非物質性」ゆえに,劣化もせずにコピーが可能であり,それゆえに伝送コストもほとんどかからない.これらの性格ゆえに,ネットアートは物質的基盤をもつコンテンポラリーアートの美的性質とは異なるところにあった.しかし,コンテンポラリーアートもまた「非物質性」を帯びるようになり,これらの性質を利用するようになった.

多分にネット寄りの作家ではあるが,ネットアーティストとは言い難いアーティ・ヴィアーカントのエッセイ「ポスト・インターネットにおけるイメージ・オブジェクト(The Image Object Post-Internet)」が示すように.インターネットを少しでも意識している作家は物質的なオブジェクトとデジタルデータとをほぼ同じものとして扱うようになってきている.

作品を展示する側のギャラリーもこのネットの性質をうまく利用して,展示作品をJPEG画像でネット上に拡散していく.作品のJPEG画像のみの展覧会である'Send Me the JPEG' はこの状況を皮肉ったものであるが,英語圏のアートマーケットはアート作品自体が物質的なものから非物質的なものへと移行しつつあるなかで,オークションを開催するなどして,非物質的な作品に積極的に価値をつけていく方向に向かっている.それは,非物質的ゆえの劣化なきコピーとほぼコストゼロでの伝送というこれまでにない作品の性質をあらたな価値として提示するために,アートマーケットがインターネットというあたらしい伝送システムを「アートワールド」という物質的基盤に構築された既存のシステムに取り込もうとしているようにみえ…

Clement Vallaの展示「Surface Survey(表面の調査)」

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写真からの3Dモデリングに注目したClement Vallaの展示.展示タイトルが「Surface Survey(表面の調査)」となっていて,考古学的な視点で「写真からの3Dモデリング」を見ているところが興味深い.ここで調査されている表現は,過渡期のものでしかないから,今しか存在しないものなんだろうなと思う.だからこそ,視点を50年後にとって,「考古学的」に眺めるのは正しいと思う.ヒトには見えていないけれど,複数の画像からコンピュータが「見た(=処理した)」ものはやはり興味深い.

「考古学的」視点ではないけれど,3Dスキャンが写真のように当たり前になったと仮定して「日々の記録」を行った谷口暁彦さんのプロジェクトもVallaと同じ感覚から生まれているように思われる.

以前,その谷口さんがつくったPVを題材にして3Dスキャンについて書いた記事→Googleの新プロジェクト「Tango」と、Holly HernDon氏と谷口暁彦氏によるミュージック・ビデオ「Chorus」に見る「3Dモデリングという表現」の可能性

ここでは「裏からの視点」ということを書いているけれども,裏も表も「面=Surface」であって,3Dモデリングや3Dスキャンの対象には「裏」も「表」もなくて,ヒトがそこに映っているものを「表」「裏」と認識しているにすぎない.ここにも「グリッチ」のようなヒトとコンピュータとのあいだの認識のちがいが存在しているのではないだろうか.

上の展示を知るキッカケになったRhizomeの記事→Some Sites and Their Artifacts: 123D Catch

告知:三輪健太朗著『マンガと映画 コマと時間の理論』刊行記念トークショー 「メディアの狭間から考える」

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三輪健太朗著『マンガと映画 コマと時間の理論』刊行記念トークショー
「メディアの狭間から考える」  日時:2014/5/17 (sat) 18:00 open
会場:京都三条 Media Shop
主催:視聴覚文化研究会  マンガと映画は,私たちにもっともなじみ深い表現媒体かもしれません.両者の比較分析を通して,「コマ」という時間表現にマンガの近代的な特性を抉り出す著作『マンガと映画』,その著者である三輪健太朗氏をお招きします.「時間」,「コマ」,「近代」といったキーワードから,異分野に属する登壇者たちが『マンガと映画』に切り込むと同時に,さらには両者に限らない様々なメディアや視覚文化一般へと開いた議論を目指します.  登壇者:
・三輪健太朗(マンガ研究、学習院大学)
・松谷容作(映画論、神戸大学)
・岩下朋世(マンガ研究、相模女子大学)
・水野勝仁(インターフェイス論、甲南女子大学)
・増田展大(映像文化論、早稲田大学) −−

「マンガ」と「映画」という畑違いの分野の書評会に出ます.

当日は以下の作品やテキストを取り上げながら,三輪さんが『マンガと映画』のなかで取り上げていた「フレームの可変性」や「意味の一義性」のことなどを話そうと思っています.これらのことを考察しながら,「近代を共有するマンガ・映画」という枠組みから外れている(あるいはそれを共有し続けている?)ウェブやコンピュータという話ができればと思います.

Olia Lialina,《My boyfriend came back for war》 1998
Lev Manovich and Andreas Kratky,《SOFT CINEMA》2002−2005
クワクボリョウタ《10番目の感傷(点・線・面)》2010 ラファエル・ローゼンダール《into time .us》2012
ラファエル・ローゼンダールの「ブラウザ」に関するテキスト composition & the browser Formal characteristics of the browser
お時間のある方は,是非お越しください! -- 追加[2014.5.16] 発表スライド(仮) ウィンドウって,大きさを変えられますよね?

ISEA2014の500w_アブストラクトのためのメモ_1

2003年に書かれたJulian Stallabrassの 'The Aesthetics of Net.Art'で,初期のネットアートは非物質的であるがために,物質性と結びついた美的感覚に基づく現代アートとは異なる存在になっていたと指摘した.さらに,Stallabrassはnet.artの作品の多くが「機能する」ことにより,現代社会に対してダイレクトに影響を与ええていたと書く.ここでの「機能」はインタラクティブであったり,誰もがネット上で見ることができるということと関係している.対して,現代アートの作品は社会への問題提起などを行なっているが,それらはギャラリーなどでひっそりと行なわれ,うまく隠れていたとしている.ひっそりと行なわれているから,そして社会にダイレクトに影響を与えないからこそ,それらは価値をもった.

10年後の2013年「ネットの美学」はどう変わっているだろうか.ポスト・インターネットの作家たちは,自分たちのリアルの画像を物質性のない画像に変えて,インターネットに流通させつづけて,そこでの変化を楽しんでいる.ギャラリーも「画像」化した作品によって,あらたなコレクターをネット経由で獲得している.Stallabrassは「伝統的なアートのオブジェクトとインターネットアートのオブジェクトは全く異なっている」と書いたが,今でもそのちがいはなくなってきている.現代アートの作品も,どんどんインターネット・アートがもっていいた「非物質性」を取り入れてきている.

作品のJPEG画像のみの展覧会である'Send Me the JPEG' はこの状況を皮肉ったものである.皮肉ってはいるが,この流れは止めることができない.いや,世界第3位のオークションハウス「フィリップス」がTumblrと共同して開催さいたデジタルアートのオークション「Paddles On!」が示すように,アートの非物質化=データ化の流れを推し進めようとする力のほうが強いのであろう.ただ,コレクターの方はまだこの流れに懐疑的で,オークションではデジタルデータそのものの作品よりも,デジタルのアイデアでつくられた物質的な作品に高値がついた.

しかし,アーティ・ヴィアーカントのエッセイ「ポスト・インターネットにおけるイメージ・オブジェクト(The Image Object Pos…