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7月, 2014の投稿を表示しています

JAGDAトーク_復習

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7月28日に行なわれたJAGDAトークの復習.



取り上げたアーティスト・作品
John Rafman《9 eyes》

Doug Rickard《A New American Picture》
Justin Kemp《Adding to the Internet》
Parker Ito《The Most Infamous Girl in the History of the Internet》
Ryder Ripps《Adrianne Ho Paintings》
Artie Vierkant《Image Objects》
Joshua Citarella《Compression Artifacts》
渡邉朋也《ツナとマヨネーズ》
−− トークを終えて,「情報」と「物質」との結合が解かれて,抽出された「情報」が常にそこにある状態で,その「情報」を「概念」として提示していくのか,「物質」に再び定着させるのか.これが「インターネット以後のアート/グラフィック」の問題なのではないかと考えた.もちろん,情報が抽出されていくことは「インターネット」にはじまったことではないけれど,「インターネット」によって「情報」の抽出とその拡散のインフラが整ったとは言える.
トークのなかで,「情報」が「物質」から切り離されてきたことから生じる問題も「情報」を「概念」のまま作品を提示できるアートと,「情報」を「物質」に定着・固定化する必要があるデザインとでは異なることがわかった.「情報」を「物質」に固定しなければならないデザインは,その成果物に「情報」と「物質」とが一度は切り離されつつあることの痕跡を見つけるのは難しい.しかし,デザインにも確実に変化が起こっていて,作品のテイストがここ3〜5年のあいだに変化していると,菊地さんは指摘していた.この指摘から,アートでは既に「物質」のみならず現実との関係を疑うような作品が出てきているが,それは「情報」を「概念」として流通させることが可能なフォーマットだからだと考えるようにあった.「アート」というフォーマットゆえに渡邉さんの《ツナとマヨネーズ》のような「物質」に「情報」が定着した彫刻作品と情報のみの平面作品とをセットで提示することが可能なのだろう.

JAGDAトーク_予習

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明日(7月28日)に行なわれるJAGDAトークの予習.あくまでも頭を整理すための予習であって,この通り話す(した)わけではありません.





「ポスト・インターネット」というお題を頂いたときには何度も取り上げているArtie Vierkantの「image-objects」.最初,デジタル画像でそれをモノにプリントアウトして,展示して記録する.その後に,展示写真をPhotoshopで加工する.展示したオブジェクトが「主」で,他のデジタル画像や加工されてネットを流れている画像が「従」というわけではない.どちらかというと加工された画像が「主」.リアル展示を見たことがないのだけれど,彼の作品はもう充分に見ている感が強い.モノの存在感がとても希薄.

Artie Vierkantはどのようにして作品を売っているのであろうか? ギャラリーの展示したオブジェクトを売っているのか,それともネット上を流通する画像も売っているのか,それらをセットにして売っているのか,最初につくったデジタル画像は売るのかどうか.彼のテキスト,インタビューにはこのあたりのことは書かれていない.





Artie Vierkantも参加している「Compression Artifacts」.キュレーションはJoshua Citarella.この展示は,どこかの山のなかに展示室をつくって作品を展示,その後,すべてを燃やしてしまって,残ったのは灰のみというもの.実際にはもう誰も見ることができない展示を記録画像を通してみる.林のなかに展示室が忽然とあるという画像は,Joshua CitarellaとArtie Vierkantも参加しているTumblr「the jogging」っぽい.それ以外にも多くの展示記録画像があるのだが,それらは展示室に「天井」があったり,部屋の広さがまちまちであったりと多分に加工されている.「写真は見えている現実とのギャップを埋めるものではなくて,主観とのギャップを埋めるもの」とJoshua Citarellaは展示のテキストに書く.「image-objects」と同様にモノの存在感が希薄なようでいて,写真に映っている「砂=灰」がどこかモノ感を醸し出してて,「火」という現象とその粗い画像が強いドキュメント感をつくってもいる.

「物的証拠」.それはどこにあるのか.「物的証拠」はそこにあるのか,ないの…

飲み会テキスト:「体言止め」にしたのは,何かここで「切り落とし」たい気持ちがあったから

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マテリアライジング展2を見に行った.OAMASの2つの研究室の展示:谷口暁彦研究室《物的証拠》,渡邉朋也研究室《ツナとマヨネーズ》を見に行ったという方が正しいかもしれない.なんだろう,情報と物質とそのあいだ,にあるのはヒトという感じ.ヒトってなんだろう.ヒトがかんじられる「不在」ということ.「ない」ということ.紙に書かれた山折り谷折りが示す情報と,そのまま折ること.いや,物的証拠はそこにあるけれども,それとともにある情報はまた別の次元にあるようで,物的証拠にくっついている.

「ない」ことに感覚・関心・興味を向けること.それが重要.「ない」ことを感じるには,まず「ある」ことを考えないといけない.それは感覚を研ぎ澄ますとかではなくて,そこに「ある」ことを素直に認めればいいということ.「ある」ことを「ある」ものとして認識していくこと.

「ある」という認識があって,そこから「ない」ことへの考察・分析がはじまる.「ある」と確かに実感できないものをデータにして,かたちにしたころで,それは「あー,そうですか」というものにしかならない.もっと,「ある」ことを認識して,それに実感をもたないといけない.


「ある」を考えることは「生きていること」をどう考えるのかということにつながるのかなと思う.でも,このように考えるのは僕がOAMASのふたりに最近,インタビューしたという事実,そこでナマのふたりに会っているということが大きな影響を与えているかもしれないけれども,そんなことなんだと思う.どこか1つの場所からしか物事は見ることができないのであって,そのときにそのひとつの場所に「ある」ことを肯定できるかどうかが問題なのだと思う.
「肯定」は少し違うかもしれないけれど,なんだろう,目の前にある物事を受け容れ,分析していくこと.分析が先にあるのではなくて,物事の認識が先にあること.これが大切な気がする.


認識したあとに,それを分析して,バラしていく.分析して,バラして,認識するとは逆の手順.

上の文字列を書いてから,歯を磨いてたりして,ちょっと時間がたったあとで,また書き始めているわけだけれど,このあとを続けられるかはわからない.

こうした自分のこと[書いている時間]を含めた認識をすること,それが大切なような気がする.それ以外の手法が悪いというわけではなくて,それは自分にとっては「大切」という文…

告知:「日本のグラフィックデザイン2014」 トークイベント

7月28日(月)に「日本のグラフィックデザイン2014」 トークイベントで話します.何を話そうか今考ているのですが,アーティ・ヴィアーカントの「イメージ・オブジェクト」のアイデアと企業のロゴを用いた2014年の展示[下の動画が展覧会の予告です]を中心にこれまでの展示を紹介しようかなと思っています.

お時間がある方は,是非聞きに来てください!


トークの詳細
トーク1「インターネット以降のグラフィックデザイン」
インターネットが一般化し、あらゆる情報が瞬時にして共有される現在、グラフィックデザインのあり方はどのように変化してきているのか。興味深い事例を紹介しながら、グラフィックデザインとデジタルメディアの接点について、研究者の水野勝仁氏と、グラフィックデザイナーの双方からアプローチしていきます。

日時:2014年7月28日(月)19:00-20:30(受付:18:30)
場所:インターナショナル・デザイン・リエゾンセンター (東京ミッドタウン・デザインハブ内)
ゲスト:水野勝仁(インターフェイス、メディアアート研究者)、田中義久(JAGDA会員)、菊地敦己(JAGDA年鑑委員)、田中良治(JAGDA年鑑委員)
参加費:1,000円(1ドリンク付)
*JAGDA会員・フレンドメンバーは無料(賛助会員は1社につき2名まで)
*原則的に、事前クレジット払いでの受付となります。
定員:100名(それ以上は立見の可能性あり)

東京ミッドタウン・デザインハブ : http://designhub.jp/
展覧会「日本のグラフィックデザイン2014」ページ :http://designhub.jp/exhibitions/1111/
本イベント詳細ページ : http://designhub.jp/events/1155/

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_23

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記事を書きました→スロベニアのリュブリャナ市民ギャラリーで「net.art Painters and Poets」が開催中

ネットアートがポスト・インターネット化を試みる方法としてリアル展示をしているというような内容です.インターネットの後に出てきたという意味では,ネットアートもポスト・インターネットアートも同じなわけです.ポスト・インターネットアートの影響からネットアートが変容していく,というようなことをネットの情報から書きました.展示の特設ページのポップアップウィンドウが開きまくる感じが懐かしくもあり,でも,そのデザインが今っぽくもあって,味わい深いです.



ボツテキスト
同時に,自分たちよりも若い世代が考案した「net.artdatabase」のフォーマットで展覧会の予告動画をつくり,リアルとネットが相互にインタラクションしている場を提示している.それは単にいつもネットをやっている風景にすぎないのだが,デスクトップやノートブックというパソコンのかたちに合わせて,ネットを体験しているリアルの場が変化していることが示されている.net.artにおけるネットとリアルとの関係を再考するようなこれらの展示形式に加えて,ネットもリアルも等価値に扱う「ポストインターネット」と呼ばれる状況のなかで作品をつくるアーティストの作品も展示することで,net.artが示してきた「リアルよりもネット」という関係が,2014年というポストインターネットのように「ネットもリアルもほぼ等価値」なものとして示せすことができるのでは.と問いかけているような展示の流れになっている.

ネットとリアルとは等価値とは言いつつも,net.art世代のĆosić氏はひとつひねりを加えている.それは展覧会の特設サイトには展示されているすべての作品のリンクが掲載されていることである.私は日本にいながらにして,今回の展示されている作品をネットでは見ることができる.リアルな場所限定せずに作品を体験できるというのは,net.artだけでなく現在インターネット上で展開さている表現の大きな利点である.しかし,作品の本来のかたちはそのリンクの先にあるとなると,ギャラリーでの展示で作品を見るという体験は何を意味しているのであろうか.net.artを含めてネットアートをリアルにインストールする際にĆosić氏とGregor…

Paddles ON! London に関してのいくつかのメモ

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2013年の10月にニューヨークで開催されたデジタルアートのオークション「Paddles ON!」が,今度はロンドンで開催される.23作品が出品されている.出品作品をざっとながめると「絵画」が多い.絵画といってもデジタルペイントが多いが,そのなかにはJeanette Hayes《Press ESC to Escape》2013のような油絵具を使ったものもある.この作品が象徴的なのだが,今回のオークションで取り扱っているのは「デジタル」の作品ではなく,「『デジタル』『インターネット』を通過した後」の作品であるため,その表現媒体に必ずしも「コンピュータ」を用いているわけではない.

JEANETTE HAYES Press ESC to Escape, 2013 Lot Number 12 Oil on chromogenic print on canvas 77.5 x 94 cm (30.51 x 37.01 in) Courtesy of the artist Estimate £1,000 - £1,000
特別な絵画手法でデジタルな題材を描いて,インクジェットように見えながらよく見ると絵画といった作品をつくるMichael Staniakは自らのことを「ポスト・インターネットアーティスト」だと見なしている.「ポスト・インターネット」という言葉は多く使われてきたが,アーティスト自身が自らを「ポスト・インターネットアーティスト」と呼ぶことに,この言葉が使い古されたものになったことを強く印象づけられた.
MICHAEL STANIAK IMG_885 (holographic), 2014 Lot Number 7 Casting compound and acrylic on board with steel frame 121.2 x 91.2 cm (47.72 x 35.91 in) Courtesy of Steve Turner Contemporary Signed on the reverse Estimate £3,500 - £4,750
今回の出品作品では,Yung Jakeによる「カーソル」の映像作品《Squiggle》2014とYuri Pattisonの3Dプリンタ彫刻《chelyabinsk eBay extrusions》2013がと…