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2015年の振り返り

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2015年にはこの投稿を含めて63本の記事を書いています.2014年が76本だったから,結構減ってしまいました.しかも,今年はボツ原稿を上げたシリーズもあったので,実質はもっと少ないことになります.
お仕事としては,2月にメディア芸術祭で「“ニュー”メディアアートの現在地~バイオアート×ネットアート×ハイブリッドアート 」というトークを行い,5月に日本映像学会第41回大会で「テクスチャを透してモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D−3D」という発表をして,そのあとに書き仕事で,美術手帖6月号「ポスト・インターネット」特集MASSAGE10に「ポスト・インターネット的表現と「調整レイヤー」という不恰好なメタファー」というテキストを寄稿したりしています.
ほっと一息ついたら,今度は神保町にあるSOBOでの展覧会「Vacant Room」で,企画・展示設計を行ったucnvさんとトークしました.そこで考えたのが「デジタルな現象をそのまま扱うということは,モダニズム的な態度 」ということでした.そして,大学の同僚の馬場先生とやっている新/視覚芸術研究会「デジタルメディア時代の視覚と世界変容。出来事、記憶、身体の行方」 で「デジタル時代の物質性 あるいは 単にPhotoshopのブラシ あるいは 単にブラシ」という問題提起を行いました.
そして,今年一番の仕事はウェブメディアÉKRITSに「メディウムとして自律したインターフェイスが顕わにする回路」を寄稿したことです.ここで論じた問題意識で,エキソニモと谷口暁彦さんの作品に関する論文を書き上げたいです.
今年はトークする機会が多くて,THE COPY TRAVELERSヌケメさんともトークをしました.いくらやってもトークは慣れません.THE COPY TRAVELERSはポストインターネットやメディアアートとは違う文脈で活動しているグループなので,トークはアウェイな感じになるかなと思ったら,文脈が違うからこその差異が際立って,学ぶところが多いトークになりました.ヌケメさんとのトークは,私が参加している科研費「ポストインターネットにおける視聴覚表現の作者性にかんする批判的考察」研究グループの企画で行いました.このトークを受けて,来年はじめはヌケメ論を書くことになります.
さらに,東京都現代美術館で開催されてい…

出張報告書_12/18-20(別紙)_「どうにでもなる」がゆえに「もう,どっちでもいいよ」とは言えない世界

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出張報告書_12/18-20(別紙)は,東京・八丁堀のmilkyeastで開催された展覧会「無条件修復 第III期」に展示されていた永田康祐の作品を考察したものである.永田の作品は3つあり,それぞれ《裂かれた紙の写真》《4つのオブジェクトによるコンポジション》《石の上に木を落とす/木の上に石を落とす》というタイトルであった.
《裂かれた紙の写真》は,紙の中心あたりで下から中ほどまで裂かれた方眼紙を撮影した画像をプリントされた紙も裂かれた方眼紙と重なるように裂かれている作品である.撮影された方眼紙も裂かれていて,その支持体となる紙も裂かれている.展覧会のタイトルである《無条件修復》から考えると,支持体の紙を修復すれば,撮影された方眼紙も修復されるように思ってしまうが,そうはならない.支持体の紙を完璧に修復すればするほど,方眼紙の裂け目が鮮明に見えてくるだろう.当たり前だが,支持体の紙が保持しているのは「裂かれた紙」だからである.支持体の紙が裂かれているから,物質としての裂け目がイメージとして保持されている方眼紙の裂け目を「修復」していると言うのは言い過ぎかもしれないけれど,それを見えにくくしていることは確かである.
さらに《裂かれた紙の写真》で興味深いのは,支持体の紙がクリップで挟まれて,そのクリップが釘で留められた状態で展示されていることである.物体としての紙がクリップに挟まれているのに対して,紙にプリントされた方眼紙は釘で直接壁に打ち付けられた状態を撮影されている.方眼紙の支持体となっている紙には余白があって,そこに釘を打ち付けて,展示することもできそうではあるが,永田は紙をクリップで留めて作品を展示する.クリップで挟まれる紙という現象は,紙には表と裏があることを示し,支持体の紙をイメージの方眼紙から引き離し,それがモノであるという当たり前のことを強調する.
《裂かれた紙の写真》ではイメージの方眼紙と支持体のプリント用紙に物質的なちがいはある.しかし,それらは「紙」という言葉で括られる認識において,同一の物性を見ている人に与える.それゆえに,「紙」という物性で2種類の紙は重なりあって,方眼紙とプリント用紙の物質的なちがいは前面にはでてこない.対して,《4つのオブジェクトによるコンポジション》は支持体とイメージの物性が異なる場合があり,このちがいから生じる違和感…

お仕事:『UI GRAPHICS』への寄稿

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UI GRAPHICS -世界の成功事例から学ぶ、スマホ以降のインターフェイスデザインに「メタファー,ボタン,テクスチャ,色面,ピクセル」と「GUIの歴史:私たちがデザインしてきたインターフェイスは常に身体の中にあった…」を寄稿しました.前者は「フラットデザイン」を論じたもので,後者はタイトルにもあるとおり「GUIの歴史」を振り返るものになっています.2つともユーザ・インターフェイスとの関わりなかで,ヒトの身体が現実世界の限界を超えていくものになっていくのではないだろうか,ということを書いています.
深津貴之さんの「マテリアデザインとその可能性」では,マテリアライジングを「『厚さのあるピクセル』が現実にあった場合にどのように挙動するかをシミュレートしたデザイン」と書いてあったり,『融けるデザイン』の渡邊恵太さんによる「インターフェイスと身体」には「知覚と行為の循環が,半分ディスプレイの中に入り込んでいる」という指摘があったりして,とても興味深いです.
博士論文では「ディスプレイ行為」という概念をつくって,ヒトとコンピュータとがディスプレイの画像とマウスであたらしい行為をつくっていくということを考えました(→GUI の確立にみる「ディスプレイ行為」の形成過程).このときは,ヒトの身体・認識があたらしい行為のために重要だと考えていましたが,今は,行為がピクセルの光から導かれることに興味があります.なぜなら,ピクセルの光のもとで現実とは異なる世界を厚みをもったピクセルから立ち上げて,そこに認識が半分入り込んでいるとすると,私たちは世界に対してこれまでとは異なる感触をもつと考えられるからです.
インタビュー「動きから「質感」を生み出すUIデザイン」で中村勇吾さんがスマートフォンのスクリーンを「アップデート可能な表皮」と言っています.私たち自身も「アップデート可能な表皮」とともにアップデートしていけるのかということを,この本に集まれられた事例やテキストから考えていけそうです.
『UI GRAPHICS』,是非,読んでみてください!

Photography Is Magic By Charlotte Cotton の作家リンク

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シャーロット・コットンの『写真は魔術』の作家リンクをつくりました.作家のウェブページがあるものはそこへのリンク,ウェブページがない人は名前でグーグル検索したものをリンクしてあります.

Photography Is Magic By Charlotte Cotton の作家リンク


ヌケメさんとのトークメモ

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《Old School》について
家にある《Old School》を90度回転して置いてみたら,とてもびっくりしました.Windowsのアイコンが突如,モノ化した感じがしたのです.


木にプリントされた時点で,ディスプレイの光の集まりであるアイコンはモノ化しているわけですが,この段階ではまだ木の表面にプリントされたイメージという感じがあります.ヌケメさんはそれを彫ります.そうすると表面に凸凹が生じます.そこで更にモノ感が増すわけですが,一番上の画像のように置かれるとどこかまだイメージな感じがします.それはプリントがパソコンのディスプレイと同じように垂直に提示されているからかもしれません.垂直だった彫られたプリントを水平に置いてみると,木片の凸凹が影で強調され,モノらしさが前面にでてきたのです.これを新鮮な驚きでした.これはアメリカの美術史家レオ・スタインバーグが提起した概念「フラットベット絵画」とも通じるところがあるかもしれないと考えています(→参照:アザー・クライテリア).ヌケメさんの《Old School》は水平と垂直がこじれている感じがします.


また,《Old School》を考えるためにもうひとつ参照したいのが,マイクロソフト社の「Windows 8.1 ユーザー エクスペリエンス ガイドライン」で示した「"真のデジタル化" とは、アプリが画面上のピクセルにすぎないという事 実を踏まえる」ということです.影がない光のみのピクセルを物理世界に引っ張りだすと,そこには影が必ず生じます.ヌケメさんの木を彫るという行為は影がない世界から持ちだした画像に「影のパラメータ」を付与して,操作することなのかもしれません.
影の視点から今回のあたらしいバージョンの《Old School》の木の厚みを見てみるとおもしろいです.新作は薄くなっていて,木片というよりは板になっています.木片の正面にプリントされて彫られたアイコンよりも,板にアイコンの方が角度をつけて展示されることで,影がよりはっきり見えてきます.板という薄いものを掘って,切り口に影が生まれて,それがモノの感じを醸し出す.なので,あたらしいバージョンの《Old School》のほうが,立体感が強かった気がします.それは周りをグルっと回って作品を見ることができて,そこで影を含めた見え方の変化が生まれる…

お仕事:『“TOKYO”───見えない都市を見せる』への寄稿(もうひとつのパラレルワールド追記)

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東京都現代美術館で開催されている展覧会「“TOKYO”───見えない都市を見せる」のカタログに,ポストインターネットについてのテキスト「ポストインターネットにおける3つのデフォルト:OS/イメージ・オブジェクト/オンラインギャラリー」を書きました.
10年以上東京から離れていて,主にインターネットのなかで考えていた私にとっては,東京とインターネットとの結ぶつきを考えることはとても難しい作業でした.カタログに掲載されているテキストは,難航した作業のA面のようなものです.A面は書籍というリアルな物質に定着されたので,是非展示を見に行って,カタログを買って読んでもらえるととてもうれしいです!
ということで,掲載したテキストにはB面が存在します.B面は紙に定着することがなかったので,イメージオブジェクトが提示するようなパラレルワールドとしてインターネットに載せておきます.

追記:2015.12.12
もうひとつのパラレルワールドとして,展覧会で「ポストインターネット」のキュレーションをしているEBM(T)のナイル・ケティングさんが展示に採用されなかったテキストをインタビューであげています→EBM(T)ロングインタビュー――平成生まれのバーチャル聴覚室主宰ユニット、ナイル・ケティングと松本望睦に聞く「アート、TOKYO、同時代」

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デフォルトの先のポストインターネット:ネット/リアルに最適化した表現
2008年にアーティスト・批評家のマリサ・オルソンがインタビューで言った「ポストインターネット」という言葉は,オンラインとオフラインとの区別がもはや存在しないことを意味していた(1).7年経った現在において「ポストインターネット」は,アートワールドのバズワードのひとつとなり,単に「インターネット」を感じさせる作品を指す言葉になっている.この言葉のアートワールドへの浸透を考えるには,2007年にガスリー・ロナガンがブログに書いた「ハッキング vs デフォルト」(2)を参考にすると見通しがよくなる.ロナガンはインターネットアートの第一世代であるnet.artの特徴をソフトウェアやインターネットの「ハッキング」とし,対して,ポストインターネット世代の特徴は「MSペイント」といったデフォルトのソフトウェアを使うことだと指摘した.そして,ポストインターネット世代のアーティストはディ…

THE COPY TRAVELERSとのトークのメモ

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http://thejogging.tumblr.com/soon
アーティスト,Brad Troemelらによって運営されているTumblr,「the jogging」では日用品を使ったオブジェだったり,たんなるネタ画像のようなコラージュなど,雑多な画像が投稿されているが,the joggingが2013年に行った「Soon」という展覧会では,ネジで壁面に生魚を固定した作品や,スイカを積み上げた作品など,the joggingのTumblr同様に,Photoshopで適当に合成されたような珍奇な彫刻作品が展示されていた.それらの作品は,どれもその形を維持出来る時間がごくわずかな素材で出来ていて,実際の会場ではすでに崩壊したり,腐敗していて,設営直後に撮影された画像の中だけで成立しているような作品だった.Tumblrで先鋭化されたコンポジションのスタイルが,現実の空間で展開されることで,Tumblrと現実の空間それぞれで要請される時間性の差が,現実の空間での素材の腐敗,劣化として現れる展示になっていた.(p.89)

「彫刻とポスト・インターネット」のための覚え書き,谷口暁彦 in MASSAGE 10


https://www.google.com/design/spec/material-design/introduction.html#



マテリアルはメタファー 光と影



http://www.artievierkant.com/imageobjects.php


ギャラリーで作品を見続けても意味がないと思った.

これらの例において,それぞれの作品や展覧会は,インターネットと現実の空間との間にある齟齬や,緊張関係にその成立条件があったと言える.それは,一つの閉じた窓として成立する絵画や画像ではなく,その作品の周囲をぐるりと見て周ることができる「彫刻」であるからこそ,必然的にその作品の周囲で空気のように充填された空間を巻き込むことになるからだ.そしてその空間は,たんにヴァーチャルか現実かという対立にあるのではなく,その両者が対立と調停を繰り返すような,展開された場としてあるのではないだろうか.(p.89)
「彫刻とポスト・インターネット」のための覚え書き,谷口暁彦 in MASSAGE 10

http://joshuacitarella.com


lucas blalock window…

出張報告書_20151106,もしくは,むくみ,たるみをパックでとって透明感ある肌になる

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神保町のSOBOギャラリーに行き,谷口暁彦個展「スキンケア」を見てきた.
展示室に入ると「スキンケア」と題されたテキストがある.そこにはこの展示の作品の制作手順が次のように記されていた.数字は報告書のために報告者:水野が挿入した.
(1) スーパーでお菓子を買ってくる.  買ってきたお菓子のパッケージを採寸し,表面のテクスチャをフラットベットスキャナでスキャンする.  採寸した情報とスキャンしたテクスチャ画像から,お菓子のパッケージの3Dモデルを制作する.  制作したお菓子のパッケージの3Dモデルを,物理シミュレーションのプログラムの中でパラメーターを変えながら落下させる.  (2) お菓子のパッケージをテーブルの上に置く.  テーブルの上のお菓子のパッケージを3Dスキャンする.形態の3Dデータと,表面のテクスチャのデータが別々に得られる.  お菓子のパッケージを白く塗りつぶす.  フラットベットスキャナでスキャンした表面のテクスチャを,白く塗りつぶしたお菓子のパッケージに貼り付ける.  (3) 3Dスキャンして生成された表面のテクスチャ画像を大きくプリントアウトする.  大きくプリントアウトしたテクスチャ画像をリアルタイムにカメラで撮影し,プログラムで形態のデータに貼り付ける.  テクスチャ画像を形態のデータに貼り付けたものをプロジェクターで壁面に投影する.
テキスト全体から谷口の個展「スキンケア」は3Dモデルとそのテクスチャの関係を扱ったものだと考えられる.3Dモデルの多くは形態を示すモデルデータとその表面に貼り付けられる画像データ=テクスチャからつくられる.谷口は上記の手順によって3Dモデルとそのテクスチャの問題を扱う3つ作品《むくみ、たるみ》《パック》,《透明感》を制作している.

(1)の手順で《むくみ、たるみ》が制作されている.
壁に掛けられた液晶ディスプレイには白い空間のなかに,これもまた3Dスキャンされたテーブルの天板があり,その上に青いランチョンマットが置かれている.そこに制作されたお菓子のパッケージが落とされる.この3D空間の法則を決めている物理シュミレーションには2種類あり,ひとつは現実と同じようにモノとモノとが交わらないようにパラメーターが設定されているもので,もうひとつはモノとモノとが交わるものである.現実を模したものは机の天板の表面にパ…

告知:THE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERSの クロージング・イベント

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大阪のspace_ inframinceで開催されている「THE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERS」のクロージング・イベントのトークに出ます.

日 時:2015年11月21日(土)17:30 開場予定開 場:18:00 (20:00 終了予定)参加費:540円 (オマケ付)会 場:space_ inframince定 員:25名 (要予約) 
「THE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERS」の恵比寿の展示がとても興味深かったのでアートブックを買いました.それは綴じられた本ではなく「60枚の印刷されたイメージ」でした.「スキャンしやすいな,画像にして考えたいな」と思って,「60枚の印刷されたイメージ」をスキャンしました.そして,その様子をVineにあげました.





前置きが長くなりましたが,Vineの映像をTHE COPY TRAVELERSが面白がってくれたこともあって,今回のトークとなりました.

6月の映像学会の発表や7月のucnvさんとのトークのあたりの問題意識と接続した話をしたいなと思っていますが,いまからまた考えていくところです.

テクスチャを透してモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D−3D_発表メモ ver.3.35 発表「テクスチャを透かしてモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D-3D」の振り返りSOBOギャラリートークで使うかもしれないリンク集デジタルな現象をそのまま扱うということは,モダニズム的な態度
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Closing Event : Artist Talk _ Bottle Ship Surfin'

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現在、展覧中のTHE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERSの
クロージング・イベントとしまして
メディアアート研究者である水野勝仁さんをお招きし
THE COPY TRAVELERSのメンバーと公開対談を催します。

本展を"ポスト・インターネット"や"インターネット・リアリティ"という視点で読み解きながらTHE COPY TRAVELERSと同時代のアーティストやムーブメントとの共通点や差異などを検証する予定です。

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◯登壇者 : Speaker

・ゲスト :…

出張報告書_20151030 もしくは,「みえないものとの対話」の対話

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福岡県福岡市の三菱地所アルティアムで開催されている「みえないものとの対話」展を見た.「みえないものとの対話」展は,1980年代生まれの久門剛史,ラファエル・ローゼンダール,谷口暁彦,渡邉朋也によるグループ展である.

展示は久門剛史の《after that.》(2013年)からはじまる.細長い通路のような空間にミラーボールのようなモノに光があたり,壁や床に無数の反射が映し出されている.「ミラーボール」に近づいてみるとそれは無数の時計を組み合わせてつくられていた.一目見たときに「きれいだ」と感じた作品であった.

通路を抜けた空間にはラファエル・ローゼンダールの《looking at something.com》(2013年)が展示されていた.この作品はタイトルからもわかるようにウェブサイトであるから,ChromeやSafariなどのブラウザによって誰もがいつでもどこでも自由に見られるようになっている.その作品が今回はインスタレーションバージョンで展開されている.壁面にプロジェクションされた3つの画面に《looking at something.com》が映し出され,トラックパッドでカーソルを動かすと,画面上の天気が晴れから雨,そして雷雨と変化していく.鑑賞者はコンピュータの「窓」から自身の行為に即応する「天気」を見ることになるが,タイトルの《looking at something.com》は,そこで見ているもの「何か」としか言っていない.そこで見ているものは自然なものでもなく,人工的なものでもなく,単に「何か」なのである.

[《looking at something.com》を考察した記事→そこに見えているのは「雷雨」か,それとも「何か」か?

次の部屋には,谷口暁彦によるiPadやiPod touchを組み合わせた連作《思い過ごすものたち》(2013年)が置かれていた.サーキュレーターの風に揺れている天井から吊り下げられたiPadのディスプレイには「風」に揺れるティッシュペーパーの3DCGが映し出されていたり,iPadの画面に水が流れることでメモに文字が入力されていたり,2台のiPod touchがビデオ通話アプリFaceTimeでつながれていたりする.私はこの作品を過去に何度か見ている.今回興味深かったのは,ソフトウェアがアップデートされたことでメモアプリの…

出張報告_20151023−25

23日(金)はりんかい線東雲駅に隣接する東雲鉄鋼団地内にあるギャラリーG/P gallery SHINONOMEに行き,NORIKONAKAZATO + 小林健太 feat. Psychic VR Labによる展示「ISLAND IS ISLANDS」に行った.この展示は四つん這いにならないと通れない薄暗い通路を抜けた先に常夏の海辺を模した空間がつくられており,そこでヘッドマウントディスプレイ(HMD)を装着して立体映像を体験するものであった.映像では編集者の後藤繁雄氏が「ここで起こっていることはメタファーではなく,あたらしい次元の出来事なのだ」と述べていた.薄暗く,四つん這いでしか進めない通路を通るという儀式の先でHDMによる立体映像を体験するというこの一連の流れは「あたらしい次元の出来事」であったかもしれない.この1年であっという間に当たり前になったHDMによる立体映像はそれをただ見せるだけでは単なる技術的デモにすぎず,その映像体験までにどのような導線を用意するのかが重要になっているのかもしれないと考えた.

その後,神保町のギャラリーSOBOに移り,デザインチーム・NNNNYの「エレクトリカル大0界(ダイレーカイ)」を見た.この展示は光と音の組み合わせによるエンターテイメントであった.タイトルにもあるようにどこか「あの世」を意識させるようなオブジェ群が展示空間に置かれている.そして,それらのオブジェが順々に光り,その光が空間を満たす.人は空間を満たす光と音を楽しむことができると同時に,その体験は宗教的な存在に導かれる.光と音によるエンターテイメントが宗教的な体験になるのか,宗教的な体験がそもそもエンターテイメントなのかということを考えながら,3回ほど「エレクトリカルパレード」を体験していた.

24日(土)は谷中の最小文化複合施設 HAGISO(HAGI ART)に磯谷博史,新津保建秀による展覧会「Sequence」と浅草橋のパラボリカ・ビスに「三上晴子と80年代」展を見に行った.「Sequence」では新津保氏の写真が示す「意識の移動」について考えた.特に,左右反転させた2つの大判の画像を隣り合わせで展示した作品は,プリントした画像の余白が重なった真ん中の白いラインによって意識も「左右反転」するような奇妙な体験を味合うことができた.また,印刷した画像を丸めた作…

ÉKRITS への寄稿:メディウムとして自律したインターフェイスが顕わにする回路

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「思想としてのデザインを、デザインされたテキストへ」を掲げる ÉKRITS に「メディウムとして自律したインターフェイスが顕わにする回路」を寄稿しました.

発行人の大林寛さんにネットで声をかけてもらって,打ち合わせのときに「アートとしてのインターフェイス」というお題を頂きました.そこから,これまでずっと一緒に考えてみたかったエキソニモと谷口暁彦さんの作品を考察してみました.その結果,自分的には「アート インターフェイス これから」を示すようなテキストになったと考えています.ここで得られたことから,メディアアートのもうひとつの世界を明確に示していければと考えています.

お時間があるときにご一読していただれば,とてもうれしいです.

そして,私のテキストをまさに「デザインされたテキスト」にしていただいた ÉKRITS の浅野さん,大林さん,本当にありがとうございました.

日本映像学会会報第172号に発表報告が載りました

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日本映像学会会報第172号に発表報告「画像とテクスチャ ―― ポストインターネットにおける2D と3D」が載りました.1000字程度の短いものです.15頁に載っています.

http://jasias.jp/wp-content/uploads/2015/10/JASIAS_NewsLetterNo172L.pdf

[関連記事:発表「テクスチャを透かしてモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D-3D」の振り返りテクスチャを透してモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D−3D_発表メモ ver.3.35

会報には渡邉大輔さんも参加したシンポジウム「映画批評・理論の現在を問う ―― 映画・
映像のポストメディウム状況について」の報告は読み応えがあります.そして,ヴィデオアーティストの河合政之さんの「いたるところに、芸術と思想の地平を開く」はとても興味深かったです.

デジタル時代の物質性 あるいは 単にPhotoshopのブラシ あるいは 単にブラシ

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告知:第2回 新/視覚芸術研究会 「デジタルメディア時代の視覚と世界変容。出来事、記憶、身体の行方」

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8月22日に「第2回 新/視覚芸術研究会」で「デジタル時代の物質性あるいは単にPhotoshopのブラシ」というタイトルで話します.このタイトルはオンラインギャラリー「Panther Modern」の展示室2EVA PAPAMARGARITIさんの展示作品に書かれていた英語を日本語にしたものです.

この言葉を手掛かりに以下の作品を紹介しながら,デジタル時代の「ディスプレイ」のあり方を考えてみたいと思っています.
エキソニモ《Body Paint – 46inch/Male/White》 2015
Houxo Que 《16,777,216 views》2015
Tabor Robak《A*》2014

Artie Vierkant《Image Object Tuesday 20 January 2015 4:24PM》2015 −− 第2回 新/視覚芸術研究会 「デジタルメディア時代の視覚と世界変容。出来事、記憶、身体の行方」
■テーマ 視覚文化のデジタル化はこれまでの「見ることの意味」を侵犯しただけでなく、脱領土化をもたらした。電子化された映像が世界の隅々に行き渡れば、場所、身体、時間といった概念は変化せざるを得ないだろう。オリジナルとコピーの区別はすでに消滅して久しいが、作者と作品という関係が無効されるこうした文化状況は、身体そのものを集合的なものへと再編する契機となるのだろうか。さらに高精細度映像の進展はヴァーチャル化した世界を新たな段階へと押し上げるのかもしれない。出来事、記憶、身体のあり方はどこに向かうのか。変容の過程における視覚文化を再読する。
■日時 2015年8月22日(土) 13時~18時 ■場所 デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO) 〒651-0082 兵庫県神戸市中央区小野浜町 1-4デザイン・クリエイティブセンター神戸 078-325-2201 (JR三ノ宮駅からフラワーロードを南へ徒歩約10分)
■タイムスケジュール 13時00分 開会ご挨拶 13時10分 土屋誠一 沖縄県立芸術大学 14時10分 前田真二郎 情報科学芸術大学院大学 15時10分 松木綾子 甲南女子大学大学院修士課程 15時50分 休憩 16時00分 ディスカッション      馬場伸彦 甲南女子大学 (問題提起①)      水野勝仁 甲南女子大学 (問題…

アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(3)

IDPWによるインターネットヤミ市 のS*の%tが起こります.やったのに慣れていない.いくつかの小さなオフ手渡した民間のコメントはSNS系難戦争になったときのように.または十分に得ていないの心配を「いいね」.誰かが訴えのでYouTubeのビデオは,あなたはもう見ることができない.これらはアップルによって拒否されたためか,アプリはあなたが再生することはできません.むかしたら,インターネットは「自由」のための場所になるはずだった.今日ではそれはとても緊張したのです. それでは,オフにログアウトし,現実の世界に,立ち寄ってみましょう.インターネット闇-ichiが「ブラウジング」対面のためのフリーマーケットです. あなた自身のインターネットの自由は私たちと,ここに*取る. *しかし,誰に危険や違法品,してください!この闇市場は,自由で便利なままにしたい![8]【google 翻訳による翻訳】
インターネットヤミ市(ブラックマーケット*)はリアルで「インターネット的な」ものを扱う,対面方式の蚤の市である.蚤の市とインターネットはともにすばらしいものと役に立たないものを狂信的で秩序なくミックスしている.インターネットヤミ市には,私たちにインターネットをもたらした意志と欲望とかつて私たちがインターネットのなかで見つけた意志と欲望がともに救い出されて,ソーシャルな空間で共有される.インターネットの「バズり」は次第に消えていくなかで,私たちは一緒にインターネットの残光をオフラインで体験する. *日本語の「ヤミ市」は英語に直訳すると「ブラック・マーケット」であるけれど,「ヤミ」は別表記で「病む/中毒」といった意味も持つ.そのため,より正確に英訳すると「インターネットにとり憑かれたマーケット」となるだろう.このマーケットは危険なものや違法なものは扱わない.ヤミ市は明るいマーケットである.[9]【水野による翻訳】
IDPWは1914年に創設された秘密結社であり,インターネットヤミ市のオーガナイザーである.インターネットヤミ市はインターネットを経由したリアルな場所の価値に対する考察であり,「インターネット的な」という感覚をリアル空間にダウンロードするために使われる場所である.インターネットヤミ市ではインターネットとフィジカルな空間との関係が捻れている.ヤミ市をアートとの関係で考えるならば,…

アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(2)

DISによるDISOWN 「DISOWN─すべての人のためではない」は小売店を真似たアートの展覧会である.あるいは,その逆かもしれない.ファッションでH&Mのためのカール・ラガーフェルドのディフュージョンラインがあるように,DISOWNはアートでのディフュージョンラインになる.嗜好と消費至上主義を考えるために,DISOWNは文化的批評としてあたらしいモデルを提示する.Ryan Trecartin,Jon Rafman,Bjarne Melgaard,Amalia Ulman,Telfar and Hood By Air (HBA)といった30組以上の世界的に著名なアーティストの作品を展示して,DISOWNはアーティスト・Lizzie Fitchによる小売店のインスタレーションとして展開される.アートコレクティブ・DISとキュレーターのAgatha Waraは1ヶ月に及ぶ展示を,3月6日からニューヨークのRed Bullスタジオで開始する[5].
ニューヨークを拠点にするDISはオンラインマガジンのDIS Magagineを刊行してポストインターネット的価値観を表現しているアートコレクティブである.「ポストインターネット」とはもはやインターネットとフィジカルな世界とのあいだにちがいがなく,すべてがインターネットなのである! という考えである.DISの活動の大半はインターネットであるけれど,このアートコレクティブはその活動がリアルで行われようが,インターネットで行われようが気にしていない.例えば,DISOWNはニューヨークのRed Bullスタジオで行われるし,彼ら・彼女らは2016年のベルリン・ビエンナーレのキュレーターに選出されている.フィジカルとインターネット双方において,DISは世界中にポストインターネット的価値観を拡散しようとしている.しかし,「DISOWN─すべての人のためではない」という展覧会が示しているようにポストインターネット的価値観はすべての人ためのものではないのである.この捻じれ自体がインターネット発のあたらしい価値観を示している.
グループ名の接頭辞「dis-」が示しているように,DISは既存のヒエラルキーと権力を批判し続ける.「インターネット」という言葉は大抵「リアルよりも劣った空間」や「悪ふざけの場所」といったように否定的な意味で使…

デジタルな現象をそのまま扱うということは,モダニズム的な態度

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ucnvさんとのトークで「アーティ・ヴィアーカントの画像はそこにあったものをそのまま映していて,そこで生成されているわけではない」というようなことをucnvさんが言ったことがずっと気になっている.ヴィアーカントのイメージオブジェクトで展示の記録として撮影された画像は,そこで起こっている現象をそのまま記録している.もちろん3次元を2次元に変換するときの欠損はあるけれども,それでもそこで起こっている現象をそのまま記録している.
その後,Photoshopでその画像が加工される.このときヴィアーカントはスタンプツールを主に使って,その展示会場で一度記録された色情報以外のものを使っていないということを,ucnvさんの指摘で気付かされた.これはとても大切なことような気がしている.展示空間を記録して,それを加工しているというのはこれまでの写真の見方で,ヴィアーカントは展示空間をスキャン=撮影して,デジタル化して,色情報が集積された平面にしていて,そこにもともとある色情報のみを使うことをルールにしているのかもしれない.スキャンというデジタルの現象をそのまま扱う.そこで生まれた情報のみを扱うという感じだろうか.スキャンによって空間を色情報をもった平面=テクスチャに変換する.そこでは空間や作品画像といった区別はなくなり,すべてが色情報になる.ただ,そこにあるもの以外は使えない.一度のスキャンという現象でうまれる情報だけを扱うこと.
「Vacant Room」での360度写真で感じたことは,見えない部分が生まれるということ.それは一度では見ることがなくなる.「フレームの外」が生まれること.現実も視点からしょうじる視界フレームによって「フレームの外」が生まれる.写真は「フレームの外」をなくして,「フレームの中」だけにする.360度画像には「フレームの外」がある.この感じが,空間をスキャンして色情報として「フレームの中」に閉じ込めるヴィアーカントのイメージオブジェクトと似ている.
「フレームの外」を感じさせる「Vacant Room」と「フレームの中」だけの「イメージオブジェクト」が似ているというはどういうことか.似ているというよりも,それが両立し得るのがデジタルという現象なのではないか.「Vacant Room」のとなりに「イメージオブジェクト」があっても,それがデジタルという現象と…