インターフェイスの消失と「より感覚的」な外界の認識(2)

私たちの「内側」で発生するノイズ
公安9課の草薙素子がホテルの一室を監視しています.そして,素子の首からは何本かのケーブルがでています.ノイズまじりの音声,ぼやっとした緑色の視界.この冒頭のシーンは,BMIについて多くのことを教えてくれます.例えば,ここで素子が見ているものは,サングラス型のディスプレイに流れている映像なのでしょうか,それともBMIを介して脳に直接流れている「映像」なのでしょうか.ここで「映像」とカッコ付けで書いたのは,脳内に直接流れることを映像と呼ぶのか分からないからです.脳内のなかでの「映像」のことを,私たちは「想像」とか「妄想」と呼んだりしていたりしますが,それが機械的に再生されるとなると,それは何と呼ばれるものなのでしょうか.

攻殻機動隊は「BMI」技術が一般化した世界を描いています.BMIには「脳の情報を読み出し,機械に出力する出力型のBMI」と「脳に入力される感覚情報が機械から入るようにする入力型BMI」とがあります.常に外界とのインタクションを実行している「電脳」はこのふたつの技術をまとめた「出入力型のBMI」と言えるでしょう.しかし,「電脳」と「BMI」との関係はとても曖昧なものです.BMIは脳と機械とのをつなぐインターフェイスのことですが,電脳は脳そのものを機械・コンピュータにしてしまうことです.脳そのものがインターフェイスになると言ってもいいでしょう.ただどちらも,外界からの入力された情報を変換して,身体による運動や脳内再生される「映像」に出力する「入出力経路」を人工化することには変わりがありません.それは情報理論を提唱したクロード・シャノンによる「コミュニケーション図」を自分の身体のなかに作るということです.電話やテレビなどの「メディア」を考える際に,シャノンのコミュニケーション回路は使われてきました.これらの「メディア」やこれまでこの本でも扱ってきた「インターフェイス」は人間の「外」にあるものでした.しかし,BMIや電脳は人間の「内」に装着されるものであり,それはシャノンのコミュニケーション回路を人間のなかに人工的に作ってしまおうという試みなのです.

私たちの内部にシャノンのコミュニケーション回路をつくるということは,同時に「ノイズ」という概念が,私たちの身体に入り込んでくることを意味します.なぜなら,シャノンの考えの基本は「いかにノイズの少ないコミュニケーション回路をつくるか」にあり,そこでは「ノイズ」の存在が前提になっているからです.2013年時点で,電脳は実現していませんが,感覚器官と脳とをつなぐ入力型のBMIで実用化されているものはあります.例えば,音を感知して電気信号に変え,脳に送り届ける人工内耳などです.機械の助けによって,外界の音を聴くことが可能になってきているのです.装着直後の人工内耳はノイズしか聴こえず,時間が立つにつれて,音を意味あるものとして認識できるようになるそうです.ここで,人工内耳でノイズが生じるところが,私たちの「内」なのか「外」なのかは考えてみる必要があります.今の私たちの世界においても,テレビの映像は乱れ,ケータイの音声にもノイズが入ります.しかし,それらはあくまでも私たちの「外」で起こっていることです.私たちの身体の内側でノイズが発生することはありません.けれども,私たちの内側にインターフェイスを組み込んだのがBMIです.だから,私たちの「外」では意味ある音の流れだったのが,BMIでは私たちの「内側」にあるインターフェイスを通るときに変換され,その際に「ノイズ」を発生させます.対して,現在のインターフェイスでノイズは私たちの身体の「外側」で生じます.この違いはとても大きいものです.

また,脳とコンピュータとを直接つなげばとてもクリアな「情報伝達」が行われると思いがちですが,脳とコンピュータを直結したとしてもノイズは消えはしないのです.なぜなら,BMIを導入することは,脳のなかに機械と直接触れ合う境界をつくることになり,そこでは「脳」と「機械」というふたつの存在が向かうことになるからです.シャノンのコミュニケーション図で想定されているように,ふたつのもののあいだにはコミュニケーションが生じます.そして,コミュニケーションがあるところには必ずノイズが存在するのです.そんな領域を自分のなかに持つことはどんな気分なのか,今のところ想像できません.さらに,脳をそっくりそのまま「電脳」にしても,冒頭のシーンで素子がバトーから「お前の脳,ノイズが多いな」と言われているように,ノイズはなくなりません.バトーの問いかけに素子は「生理中なの」と応えています.このことは,「電脳」というコンピュータが身体(のかたちをしたもの=義体=コンピュータの身体)とのコミュニケーションを行ない,そこからノイズが発生していることを示しています.

インターフェイスの消失と「より感覚的」な外界の認識(3)

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