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7月, 2016の投稿を表示しています

MASSAGE連載04_モノと光とが融け合う魔術的平面

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MASSAGEでの連載「モノとディスプレイとの重なり」の第4回「モノと光とが融け合う魔術的平面」が公開されました.
エキソニモの《Body Paint - 46inch/Male/White》と《Heavy Body Paint》について書きました.この2つの作品はともにICCで開催中の「オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス」に出品されています.是非,リアルに体験してみてください.光とモノとが融け合いながら,ヒトと絵具のビンとが飛び出してくるのを体験できます.これは実際に体験すると,まさに認識がバグります😖
Giuliana Brunoの『Surface:MATTERS OF AESTHETICS, MATERIALITY, AND MEDIA』を読んでいるのですが,ここでの「Surface(表面)」」はスクリーンや建築のファザードがメインで「ディスプレイ」はあまり出てきません.でも,「ディスプレイ」の表面もまた,今の時代,考えるべき平面のひとつとなっているはずです.手付かずではないが,あまり考えられていない「ディスプレイ」というモノと平面を考えつつ,平面の向こう=情報との関係も捉えていきたいです.
次回は,いつもカバー画像を提供してもらっている谷口暁彦さんの作品を取り上げる予定です.

次回もがんばります😊😊😊

メモ:須賀悠介の《Empty window》を見て

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須賀悠介さんの個展が7月24日まで原宿のBLOCK HOUSEで開催されています.そこに展示されていたディスプレイをモチーフにした作品が興味深ったので,会期が終わる前にメモを残しておこうと思います.
後日,改めて,出張報告書(別紙)にまとめようと思っています.

須賀悠介の割れたディスプレイを木彫で表現した作品《Empty window》を見て,最初に気になったのは,スマートフォンの前面のディスプレイ以外の部分,iPhoneで言えばホームボタンやフロントカメラなどは排除されていることであった.確かに,ホームボタンなどのところはディスプレイではないから,当たり前である.しかし,「ディスプレイが割れた」という言うとき,実際に割れているのはスマートフォンの保護ガラスであって,それはホームボタンやフロントカメラの周囲を覆っている.だから,「割れたディスプレイ」というとスマートフォンの前面の保護ガラスが割れるのであって,ディスプレイが割れるということはないのではないか.保護ガラスが割れるだけだから,ディスプレイは機能している.しかし,ヒトは保護ガラスの割れをディスプレイの割れと思う.恐らく,須賀はこのような問題を回避するために,ディスプレイ部分のヒビのみを彫ることにしたのだろう.そうすることによって,ヒビはよりディスプレイに密着する.保護ガラスはディスプレイの一部になる.ディスプレイの上に位置して,スマートフォン前面全体を覆っていたものが,ディスプレイの一部となる.これは保護ガラスが割れたディスプレイを操作している時にも感じる.ヒビによる凹凸によって,普段は意識しないガラスの存在が顕わになる.ディスプレイは普段は画像表示装置であって,画像の支持体としてその存在を画像のもとにひっそりと隠している.しかし,保護ガラスというディスプレイ自体を保護するガラスが割れることで,ディスプレイは保護されているひとつのモノとして強く存在するようになる.だからこそ,それは木彫として表現することできる.

出張報告書_2016/07/1-3(別紙)あるいは,私のようなものを見ることは行くと来るをほぼ同時に意識することかもしない

ICCで開催されている「オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス」に出品されている谷口暁彦《私のようなもの/見ることについて》には,この作品の制作者である谷口暁彦を3Dスキャンしてつくられたアバターが2人存在している.ひとりは自律したアバターであり,もうひとりのアバターは体験者が操作できるようになっている.ふたつの画面が投影されていて,ひとつは自律型アバターからの視点で,もうひとつは操作型アバターからの視点である.
どちらも過去のある日に撮影・スキャンされた谷口暁彦であって,見た目はどこも異なるところがない.自律型アバターは過去のある日に谷口暁彦が操作した記録を再生するものである.操作型アバターはその都度,体験者が動かす.体験者がいなければ,あるいは操作をしなければ,操作型アバターは動くことがない.

アバターはどこまで過去か?
操作型アバターを動かして,自律型アバターにぶつけると,衝突が起こらずにすり抜けてしまう.すり抜ける直前の状態にすると,自律型アバターの谷口の顔の大半がなくなってしまう.かつてあった谷口の顔は,衝突判定のプログラムのなかで見えなくなってしまう.操作型アバターと自律型アバターとをピッタリと重ねるようにすると,自律型アバターのなかが空洞になっていることに気づく.3Dスキャンはある日の谷口暁彦の表面のみをスキャンしているのであって,そのなかまではデータ化していない.そのなかを埋めることはできるであろうが,モデルのデータを軽くするために空洞になっているのだろう.とにかく,谷口暁彦のかたちをした自律型アバターは空洞を抱えている.でも,その空洞は外からは見えない.だとすると,下を向くと足が見える操作型アバターもまた空洞を抱えているのであろう.しかし,空洞を抱えていてもいなくても,そんなことは関係ないと言うべきなのだろう.自律型・操作型ともに見た目は谷口暁彦なのだから.単に3Dスキャンは表面しかスキャンしないということで,ある日の谷口の表面のみが記録されているだけにすぎないのだから.けれど,その表面を表から見るのと裏か見るとで感覚が異なるならば,表面の裏は表面の表とはまた別の意味を示しているのではないだろうか.撮影された時間にコンピュータの演算時間が足されて生まれたアバターの裏面は,これまでとは異なる記憶をつくりだしている.
しかし,自律型でも操作型でも…

ÉKRITSへの寄稿:絵文字😹😸🙀は空白をつくり、感情🔥を区切る

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ÉKRITSに「絵文字😹😸🙀は空白をつくり、感情🔥を区切る」を寄稿しました.

絵文字🙉について絵文字💩を使いながら書いてテキストの後編🎱です.
前編は「絵文字😂😊😱は空白をつくり、スリル💦を生む」です.前後編合わせてよんでいただけたらうれしいです😺😺😺

絵文字って,何かのメタファーなのだろうかと思いつつ.
メタファー云々というよりも感情を区切るものなんだろうなと思いつつ.


前回のÉKRITS
ÉKRITS への寄稿:メディウムとして自律したインターフェイスが顕わにする回路 
ÉKRITSへの寄稿:絵文字😂😊😱は空白をつくり、スリル💦を生む