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10月, 2016の投稿を表示しています

MASSAGE連載06_《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ

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MASSAGEでの連載「モノとディスプレイとの重なり」の第6回「《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ」が公開されました.また,今回からタイトル画像がマットブラックのiPhoneになりました! 
Gallery Out of Place でのWINDOWS展に展示されている須賀悠介さんの作品《Empty Horizon》について論じています.WINDOWS展は須賀さんとHouxo Queさんの2人展で,Queさんの作品《16,777,216 view》 シリーズを連載の3回目「光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス」で論じていますので,合わせて読んでもらえるとうれしいです.
引き続き,よろしくお願いします😊😊😊

2016年度 中部支部 第1回研究会で講演_「GUIの歪み」のスライドなど

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スライドのPDF→ https://drive.google.com/open?id=0B3RHXdLnqTi-WUQ5UjN2blduUmM
10月8日は情報科学芸術大学院大学(IAMAS)で開催された2016年度 日本映像学会中部支部 第1回研究会で「GUIの歪み」という講演をしました.映像学会の中部支部は名古屋大学大学院時代にとてもお世話になったところです.映像学会のなかで「メディアアート」や「インターフェイス」についての発表をし続けても,受け入れてくれた懐の深い支部です.
発表要旨は以下になります. 要旨: 写真家の小林健太は自らを「GUIネイティブ」と呼び,「自分が何かと接する時に,その間に何かフィルターが介入していて,歪みが生じている.そういう状況に慣れきったような感覚」があるという.小林が言うように,デスクトップメタファーからフラットデザイン,マテリアルデザインといった流れをもつGUIは,物理世界の再現を目指すわけではなく,その構造のみを取り入れた独自の世界をディスプレイに展開してきたと考えられる.GUIを操作し続けるヒトには,物理現象に還元できない表象がつくる物理世界を裏切るような歪んだ感覚が蓄積してきた.「ポストインターネット」と呼ばれた状況以後,この蓄積された感覚が閾値を越えて,作品として現われ続けている.今回の発表では,GUIによる歪んだ感覚を示すふたりのアーティストを取り上げる.ひとりは先述の小林であり,もうひとりはベクター画像の特性を活かした作品をつくり続けるラファエル・ローゼンダールである.小林とローゼンダールの作品を通して,GUIの歪みを示していきたい.
当日は,小林健太とラファエル・ローゼンダールの考察のまえにGUIの流れをアイヴァン・サザーランドからGoogleのマテリアルデザインまで追っていきながら,身体とGUIとの歪んだ関係を先ず示しました.その後で,その歪みを引き受けた作品として,ラファエル・ローゼンダールと小林健太の作品を紹介しました.この発表を考えているときに,ローゼンダールはベクター画像が示すような数学的な完全さとともにある「クリーンなGUI」で,小林は身体と物理世界とが「クリーンなGUI」に「汚れ」をつけていく「ダーティーなGUI」なのではないか,というアイデアを得ました.このアイデアは次週の小林健太とのトークにつ…

渡邊恵太さんとトーク「インターフェイスとは何なのか?」のスライドやメモなど

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10月は3週連続で東京に出張して,いろいろなところでトークや講演をさせてもらいました.その記録としてのブログ記事の最初は,10月2日にNTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で行われた,渡邊恵太さんとトーク「インターフェイスとは何なのか?」です.
久しぶり「インターフェイス」について,どっぷりと考えられたいい時間でした.しかも,ひとりで考えるのではなく,渡邊恵太さんと一緒に考えられるというのは,とても刺激になりました.
トークで使ったスライドです.

スライドのPDF→https://drive.google.com/open?id=0B3RHXdLnqTi-VHJURm5Jb2MwNWM
以下は,渡邊恵太さん含め,渡邊研究室との打合せのときにSlackに書いたメモみたいものです.
渡邊研究室への私からの最初の問いかけ
夏の集中講義で『融けるデザイン』を再読して,そこで「smoon」や「LengthPrinter」は,ヒトの行為を均一化していくものだなと考えました.掬う量に関係なく,ただ「掬う」.長さに関係なく,ただ「引っ張る」.ボタンを押すだけの全自動とは異なり,従来の行為を行いつつも,そこでは大きな変化が起きている.でも,従来の行為と変わらないものとして捉えられてしまう.
「行為の均一化」に似たヒトの行為の縮減は,ディプレイに向かうときにヒトに起こっていたと言えます.「ボタンを押す」だけで,様々なものがディスプレイに生じます.でも,それは「行為の均一化」というよりも,ボタンを押すという単一の行為にヒトの行為を最小化していくものだったと言えます.最小化した行為に物理世界に由来する意味づけをつけるためにメタファーが用いられて,デスクトップメタファーが生まれたと考えられます.
最小化した行為のもとでメタファーを使って,ヒトの行為の構造や意味コンピュータに移行していったとすれば,GUIには歪んだ身体感覚が映されたことになります.しかし,その歪んだ身体感覚のことは考えずに,物理世界そのものをディスプレイに構築しようとしたのがスキューモーフィズムだと言えます.しかし.ディスプレイのなかが物理世界に近づこうすればするほど,最小化した行為とメタファーとのセットで持ち込まれた歪んだ身体感覚とインターフェイスの体験がズレていきます.そのズレを解消しようとしたのが,物理…