研究業績概要付き

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著書
なし

論文
(査読あり)
1.「マジック・メモとスケッチパッドにおけるイメージと痕跡の関係」,『映像学』,日本映像学会,第76号,pp.64-82,2006年5月
情報社会に氾濫しているイメージを,ジークムント・フロイトの「マジック・メモ」とアイヴァン・サザーランドの「スケッチパッド」におけるイメージと痕跡との関係性から考察した.その結果,情報社会には,痕跡付けを原理としたイメージと痕跡が強く結びついた「伝統的なイメージ」と,「変換」という新たな原理によってその結びつきが無効になった「新しい表象」とが入り混ざっていることを明らかにした.
2.「デスクトップにおけるアイコンとその背後に存在する言語との関係」,『社会情報学研究』,日本社会情報学会(JSIS),第11巻2号,pp.57-70,2007年3月
コンピュータにおけるアイコンとプログラムとの関係を,絵画的記号と言語的記号という観点から考察した.アイコンはプログラムという言語的記号から生じることから,解釈の自由が規制された絵画的記号であること.同時に,アイコンは言語的記号そのものへと還元することができない絵画的記号であるがゆえに,私たちに自由な解釈を促すことを明らかにした.(日本社会情報学会[JSIS]研究奨励賞受賞)
3.「インターフェイス再考:マウスとデスクトップ・メタファーとを結ぶヒトの身体」,『社会情報学研究』,日本社会情報学会(JSIS),第13巻1号,pp.43-57,2009年1月
私たちがデスクトップ・メタファーとマウスを使い続けている理由を,コンピュータとヒトの身体との関わりから考察した.デスクトップ・メタファーとマウスの組み合わせが,「ものを掴んで動かす」というヒトの原初的な身体感覚を取り込んだ視覚表現によって,コンピュータを操作する体系を作る試みであったことを明らかにした.
4.「あいだを移行する「↑」:エキソニモ《断末魔ウス》,《↑》におけるカーソルの諸相」,『映像学』,日本映像学会,第85号,pp20-38,2010年11月
コンピュータのグラフィカル・ユーザ・インターフェイスにおけるカーソルを,メディアアート・ユニットのエキソニモの作品を通じて考察した.エキソニモの作品《断末魔ウス》と《↑》から,カーソルが現実世界と仮想世界との「あいだ」を作り出す「移行する存在」であることを明らかにした.
5.「「薄さ」を与えられた平面:藤幡正樹の作品における「平面」の諸相」,『Juncture:超域的日本文化研究』,名古屋大学大学院文学研究科付属日本近現代文化研究センター,第2号,pp.92-104,2011年3月
メディアアーティスト藤幡正樹の作品における「平面性」を「薄さ」という観点から考察した.藤幡がコンピュータという新しい技術を通して,その可能性を追求してきた平面の「薄さ」が,村上隆が提唱し東浩紀が奥行きを与えた「スーパーフラット」と,「次元のあいだを行き来する」という点で相同性を示すことを明らかにした.
(査読なし)
6.「映像インスタレーション作品におけるスクリーン上のマルチ・イメージ」,茂登山清文との共著,『情報文化研究』,名古屋大学情報文化学部・名古屋大学大学院人間情報学研究科,第18号,pp.15-26,2004年3月
1990年代後半から現在に至るまでに,コンピュータはアートの領域に浸透してきており,特に映像の分野に関しては,コンピュータとの結びつきがとても強くなってきている.こうした映像をめぐる時代背景から,本論文では,映像をコンピュータ・テクノロジーとの関係から考察を行った.その具体例として,2つの映像インスタレーション作品,オランダ人アーティスト,ヘールト・ムルによる《Transfer Points》と,伊藤明倫《One-Second Encounters》を取り上げた.
7.「マルチ・イメージを用いた映像インスタレーション作品にみられる電子社会の時間意識(pdf)」修士論文(提出:名古屋大学大学院人間情報学研究科)2004年3月

電子社会における時間意識を,1990年代に多く発表されたマルチ・イメージを用いた映像インスタレーション作品から読み解いた.そのために,エイヤ=リーサ・アハティラの《ウィンド》,ヘールト・ムルの《Transfer Points》を考察した.これらの作品の分析から,電子社会においては,「空間的な編集可能性をもった時間」という意識が広く浸透しているという結論を導いた.
8.‘A particular relationship between the icon on the desktop and the programming language’,, “Journal of Socio-Informatics”, The Japan Association for Social Information (JASI) & The Japan Society for Social-Information Studies (JSIS), Vol.1, No.1, pp.105-121, Mar. 30, 2008 [2を翻訳したもの]
This paper examines the relationship between the icon on the desktop and programming language, in order to examine the icon’s significance in the Graphical User Interface.
9.博士学位申請論文「GUI の確立にみる『ディスプレイ行為』の形成過程」,名古屋大学大学院情報科学研究科,2009年1月
コンピュータがアナログからデジタルへとイメージの性質を変化させるだけではなく,道具の変化を促し,ヒトの身体的行為を変化させていることを考察した. GUI というディスプレイ上のイメージの変化ともに,ヒト行為とイメージとが結びつき「ディスプレイ行為」という新たな行為を形成したことを提示した.
10.「身体|カーソル|イメージ:カーソルによって切り替えられる世界」,.review001,pp.282-289,2010年5月

11.「身体|複合体|四人称:ヒトとコンピュータとの関係に関する試論」,名古屋芸術大学研究紀要,第33巻,pp.325-341,2012年3月
ヒトとコンピュータとの関係を「身体」「複合体」「四人称」という3つ観点から考察した.まず,ヒトはコンピュータと身体レベルのみならず,思考のレベルでもひとつの複合体として機能し始めていることを示した.そして,グーグルなどを用いてインターネットを使用しているヒトは今までの「人称」でとらえることができない「当事者でありかつ傍観者でもある」という「四人称」と呼びうる存在になっていることを提示した.
12.「オリジナルからアルゴリズムとともにある「ソース」へ:常に変化していくデジタル画像を捉えるための枠組みの転換」名古屋芸術大学研究紀要,第35巻,pp.355-368,2014年3月
インターネット上の画像は複製技術の延長にあるが,従来の枠組みで考え続けているとそこに生じつつある画像のあたらしい性質は捉えることはできない.そこで,従来の「フォルム」という枠組みではなく「アルゴリズム」という枠組みで画像を捉えると,画像が「ソース」と呼ぶべき複数の状態を遷移していく存在になりつつある兆候を見出すことができる.コンピュータとインターネットの登場によるデジタル画像の一般化は,画像を複製技術がつくりだした「オリジナル/コピー」という図式ではなく,「状態遷移」というあらたな枠組みのなかで捉え直す必要があることを示した.
13.「名古屋からIAMASを眺めて」,情報科学芸術大学院大学紀要,第5巻,pp.35-42,2014年3月
「身近ではあるが当事者ではない研究者の立場から,2000年以降のIAMASを3期に分け,IAMASらしさとなにかを考察*」したもの.*紀要の編集担当・城一裕氏による紹介文.3つの「IAMASらしさ」を,それぞれ「回想」「卒展カタログからの引用」「改めての考察」という流れで考察して,示したもの.
書評
1.「至るところにある美を探すために」『Juncture:超域的日本文化研究』,名古屋大学大学院文学研究科付属日本近現代文化研究センター,第3号,pp.206-208, 2012年
秋庭史典氏の『あたらしい美学をつくる』の書評.秋庭氏が示す「あたらしい美学をつくる」ためのフローチャートに従って,Twitterに「美」があるのかを考察したもの.そして,Twitterは「140字以内でのツイート」という制限によって,弁証法的な思考ではなく,ハイパーテキスト的な思考を促し,「情報」というあたしい自然のなかでのヒトのあり方を示す「美」を持つことを明らかにした.
2.「『\風景』で体験する居場所がはっきりしないフラフラする感覚」,名古屋大学大学院文学研究科付属日本近現代文化研究センター,第4号,pp.166-168,2013年3月
新津保建秀氏の写真集『\風景』の書評.新津保氏は「写真」のフレームを拡大することで,写真↔デスクトップ↔ウィンドウ↔スクリーンショット↔写真集,ディスプレイの垂直性と写真集の水平性といったあいだでフラフラできる居場所が定かではない領域がつくりだしたのではないだろうか.あたらしく生まれた領域での「フラフラする感覚」を,新津保氏の「スクリーンショットで撮る」という行為とデザインを担当したセミトラの田中良治氏が強く意識する「時間軸」という言葉から考えてみたもの.

国内学会おける発表
(口頭発表,査読なし)
1.「マルチ・スクリーンを用いた作品における映像空間について」,日本映像学会第29回大会,倉敷,2003年6月
エイヤ=リーサ・アハティラのマルチスクリーン作品《ウィンド》をコンピュータのインターフェイスとの関連から考察した.アハティラは,物語という情報の流れを,3面のスクリーンに分配し,同時に表している.鑑賞者が3つの映像へのアクセスを繰り返すことは,複数のウィンドウを開くコンピュータのインターフェイスにおいて,ユーザが見つめているのと同じ映像空間を作り出していることを示した.
2.「視覚文化へのコンピュータの影響を探るために :レフ・マノヴィッチ『The Engineering of Vision from Constructivism to Computers 』から」,第45回意匠学会大会,兵庫,2003年11月
レフ・マノヴィッチの「The Engineering of Vision from Constructivism to Computers」に記述された,ロシア構成主義からコンピュータに連なるひとつの流れを考察した.そこから,現在の視覚文化においてコンピュータが見ることの「効率化」を追求するための装置であることを示した.
3.「GUI 開発過程における画像の役割の変化:ダグラス・エンゲルバートとアラン・ケイの思想」,日本映像学会第31回大会,福岡,2005年6月
現在のインターフェイスの主流であるグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI) 開発過程において大きな影響をもったダグラス・エンゲルバートとアラン・ケイの思想を辿りながら,コンピュータ・スクリーン上の「画像」が担った役割を考察した.画像は身体的行為の「確認」という役割を担っていた画像が,コンピュータへ指令を直接与える役割を担うようになったことを示した.
4.「ユーザインターフェイスにおける,アラン・ケイ‘Doing with Images makes Symbols’の影響:Alto と Star」,日本社会情報学会(JSIS)第10回大会,京都,2005年9月
現在のインターフェイスの主流であるグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)の開発過程で大きな影響力を持った人物の一人,アラン・ケイが掲げたスローガン「イメージを操作してシンボルを作る」が,コンピュータのユーザインターフェイスの成立に与えた影響を考察した.そこから,コンピュータ・スクリーンに映し出されている画像が思考を組み立てるために用いられていることを明らかにした.
5.「スケッチパッドにおけるライトペンとディスプレイ装置の役割」,日本映像学会第32回大会,西宮,2006年6月
1963年にアイヴァン・サザーランドが発表した「スケッチパッド」を,光を自由に操りイメージを描く電子的筆記具という観点から考察を行った.そこから,スケッチパッドは,人間に感知できないコンピュータ独自の情報を制御し,それを循環させることで,ディスプレイ上の光配列を決定していること.そして,人間はそれを描かれたイメージとして見ていることを示した.
6.「アイコンが示す時間と空間の直接的相互反映」,日本社会情報学会(JSIS)第11回大会,東京,2006年9月
アイコンをコンピュータのディスプレイに導入したディビッド・スミスの PYGMALION と,その開発言語である Smalltalk の関係から,アイコンという情報表示形式が持つ意義を考察した.そこから,コンピュータが生み出している時間と空間の直接的相互反映を端的に示すと同時に,それを隠す役割を,アイコンが担っていることを明らかにした.
7.「電子的視覚表示装置が示す視覚と触覚の関係性:アイヴァン・サザーランド「究極のディスプレイ」と藤幡正樹《禁断の果実》」,日本映像学会第33回大会,相模原,2007年6月
アイヴァン・サザーランドの「究極のディスプレイ」という概念と,藤幡正樹の《禁断の果実》という作品をディスプレイから放射される「光」に触れるという観点から考察した.そこから,コンピュータで作業を行っている際に,私たちの視覚と触覚は光に触れる「指先」に収斂していき,新たな感覚比率を構成するようになっていることを示した.
8.「インターフェイスのデモ映像に映る『手』」,日本映像学会第34回大会,京都, 2008年6月
ユーザ・インターフェイスのデモ映像に映る「手」とデバイスの関係を,ヒトの行為のデザインという観点から考察した.ペン型のデバイスを器用に持つ手から,マウスという単なる四角い箱を握る手へと至る変化は,コンピュータとの「対話」に適したかたちへと,ヒトの行為がデザインされていくプロセスを示していることを明らかにした.
9.「インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか」,日本社会情報学会(JASI&JSIS)合同研究大会,東京,2008年9月
アラン・ケイが提唱したスローガン「イメージを操作してシンボルを作る」 が,ヒトとコンピュータとのコミュニケーション・デザインに与えた影響を考察した.そこから,現在のユーザ・インターフェイスの主流であるグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)にはコミュニケーションのためのコードが存在せずに,ヒトが絶え間なくイメージを操作し続けることによって,コンピュータと対話を行っていることを明らかにした.
10.伊藤明倫,水野勝仁,「「あいまいさ」の境界」,日本映像学会第35回大会,名古屋,2009年5月
本発表は,アーティストの伊藤明倫氏と共同で行った研究・作品制作の報告である.ディスプレイに映し出されているのは,物質性から解放された光による色である.そこでは,物資的基盤を持たず,輪郭があいまいな色が展開されている.私たちは,物質的に「白」と考えられている本の小口を切り取り,それをハイビジョン撮影した.そして,物質としての小口と撮影された小口を同時に見せることによって,物質と光のあいだにある「あいまいさ」を表現した(作品イメージは伊藤明倫さんのページで見ることができます) .
11.「間主観的な映像:ヒト|映像|データ」,日本映像学会第36回大会,東京, 2010年6月
現在,私たちが体験している映像のほとんどは,コンピュータによって生み出されている情報のうえに成り立っている.それゆえにロラン・バルトなどによる古典的な映像論ではなく,「人間の世界」「人工物の世界」「実世界」という3つの項の関係性から導かれる「間主観的」という観点から映像を考えなければならないことを示した.
12.「GIFの質感:「ポスト・インターネット」から考える画像形式」,日本映像学会第38回大会,福岡,2012年6月
インターネットが当たり前の存在になった「ポスト・インターネット」という観点から,GIFとJPEGというふたつの圧縮画像形式の質感を考察した.その結果,JPEGは「人工物のヌメっと感」を画像単体で示すのに対して,GIFは見る人の身体に直接作用すると共に,画像単体ではなく,複数の画像によって情動のつながりを生み出していることを示した.

国際会議における発表
(口頭発表,査読あり)
1.Masanori Mizuno, Kiyofumi Motoyama, "A time consciousness of young Japanese media artists", ISEA2004:12th International Symposium on Electronic Art, Helsinki, Finland, August 2004
伊藤明倫氏の映像作品《code of river》を取り上げ,日本の若手メディアアーティストの時間意識を考察した.結果として,伊藤氏をはじめとする多くの日本の若手メディアアーティストには,時間を機械的な点の集合として扱う感覚と,日本人独特の「間」という感覚とが絡み合っていることを明らかにした.
2.Masanori Mizuno, Kiyofumi Motoyama, "To See and To touch the Light Source", ISEA2008:14th International Symposium on Electronic Art, Singapore, July 2008
コンピュータの登場によって,「イメージ」を見ることを可能にする「光」が変化していることを「光の操作」という観点から考察した.ブラウン管以後,人間は電気の光を自由に操作できるようになった.それは,従来の環境から反射してきた光を見るということとは異なり,電気によって生じる光源そのものを見るということを意味している.この光の変化は,「光源に触れる」というあらたな行為を生みだしたことを明らかにした.
3. "Seeing the ‘light-color' seduces a new kind of touching", ISEA2009:15th International Symposium on Electronic Art, Belfast, North-Ireland, August 2009
本発表は,ディスプレイ上の光によって,新しい触れる行為が私たちの身体に生じてきていることを示したものである.ディスプレイに映し出されているのは,輪郭と重さをもたないあいまいな色の集合体である.対して,私たちは輪郭と重さのある世界に生きている.このギャップを埋めるために,プラスチックやガラスといったなめらかな物質を用いて,輪郭と重さを持たない光の色に,擬似的に触れる感覚を作り出しているのが,現在のインターフェイスであることを示した.
(ポスター発表,査読あり)
4.Masanori Mizuno, Kiyofumi Motoyama, "Another perspective of computer interface usability : not 'easy to use' but ‘thinking to use'", ICHIM 05, Paris, France, September 2005
ユーザ・インターフェイスの歴史を,ダグラス・エンゲルバートとアラン・ケイが掲げたコンピュータの開発思想から考察した.そして,「使いやすさ」という観点に埋もれてしまった「使いながら考える」という観点があったことを指摘した.そして,人間とコンピュータとの共生を目指すためには,エンゲルバートとケイによって掲げられた「使いながら考える」という思想が必要であることを示した.
(口頭発表,査読なし)
5."Drawing Information blur on the virtual picture surface: A study of Ivan Sutherland's Sketchpad", 2nd International Symposium on Multi-Sensory Design, Nagoya, September 2006
1963年にアイヴァン・ザザーランドが発表した「スケッチパッド」を「光で描く」という観点から考察した.スケッチパッドは痕跡を刻むことなく,イメージを描くことができる.それを可能にしているのは,CRT から放射される電気の光である.この電気の光は,人間が感知できない情報からしみ出してきたものである.そしてスケッチパッドは「情報のしみ」としての電気の光を媒体にして「描く」行為を可能にしたことを示した.
6."What You See Is What You Touch?: Double Description of Vision and Touch in 'Display Acts'", 4th International Symposium on Multi-Sensory Design, Nagoya, March 2009
ディスプレイ上のカーソルというイメージをグレゴリー・ベイトソンの「二重記述」という観点から考察した.私たちはカーソルを見るだけでなく,マウスなどのデバイスを通して触れてもいる.このイメージを「見る」と同時にそれに「触れる」という「二重記述」的な感覚を通して,カーソルが私たちに「イメージに触れる」というスキルを与える存在であることを明らかにした.
7.Hirofumi Mizukawa and Masanori Mizuno, "Nature and Destruction on the Computer", Traversing Cultural and Media Boundaries, shanghai, December 2011
「破壊」という観点から,コンピュータの性質を考察した.「グリッチ」という画像ファイルのバイナリデータを改ざんすることで,イメージにノイズを入れる手法を水川氏が論じた.水野は,アートユニットのエキソニモのマウスを破壊する作品《断末魔ウス》を分析し,現在のコンピュータにおいてカーソルが特権的位置にあることを示した.
獲得した研究助成
1.「コンピュータの登場にともなうイメージの性質の変化」『第15回堀情報科学振興財団研究助成』,2006年4月
コンピュータがディプレイに映し出しているイメージの性質の変化を,工学と芸術との関係から考察した.そして,イメージの性質の変化によって,従来はイメージを扱うことがなかった技術者が芸術家に近い性質を持つようになっていくとともに,芸術家が技術者になっていく過程を示した.
展覧会等
1.展覧会企画,「MEDIASELECT 2003 exhibition "post"」,名古屋港ガーデンふ頭20号倉庫南室,2003年11月
名古屋と東京の若手メディアアーティスト9名と研究者(水野)を加えた10名で行った展覧会.ここで,私は助成金の獲得や,展覧会におけるディスカッションの企画など,展覧会のマネージメントを行った.また,2004年4月に,展覧会の記録誌を発行した際には,編集作業を行った.
2.展覧会図録原稿「テクノロジーへのおもい」,『MEDIASELECT2003 DOCUMENTS』, pp.2-3,2004年3月
展覧会『MEDIASELECT2003 DOCUMENTS』のまとめ.1970年代後半から1980年代前半生まれの作家におけるテクノロジーへの距離感を考えたもの.
3.パフォーマンス,インターメディア・パフォーマンス「cycling」,名古屋大学全学教育棟A館西側,2005年12月
名古屋大学情報文化学部が,平成17年度名古屋大学 教育研究改革・改善プロジェクト,「デジタル映像資料を使った新たな文理融合型教育創出のための調査研究」の一環として行った映像インスタレーション・パフォーマンス 「cycling」に企画,舞台設営,パフォーマーとして参加.
4.作品発表,cnotta(申請者を含めた3人で構成されるグループ),「all that maybe the slightly better ones do is sort of get inside your head and leave something there. leave something beautiful after you get off everything. 」,マルチプルチョイス,名古屋,2006年7月
水野を含めた3名で行った,展示空間をひとつの部屋とみなして行ったインスタレーション.企画,映像及び映像に映すテキストの作成.
5.展覧会レビュー「ぐるぐるしながら,輪っかをつないで,生きていくこと」,『名古屋大学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」アニュアル 08/09』,pp.66-67,2009年3月
名古屋大学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」で行われた岡川卓詩氏の個展「Chain Cycle」のレビュー.
6.作品発表,伊藤明倫,水野勝仁,「「あいまいさ」の境界」,日本映像学会第35回大会,名古屋,2009年5月
7.展覧会レビュー「メディアセレクト2009」,「芸術批評誌【リア】」22号,pp.91-92,2009年10月
名古屋芸術大学アート&デザインセンターで開催された展覧会「メディアセレクト2009」のレビュー.
8.展覧会レビュー「選択範囲によって生じる「いまここ」の複数性」,『名古屋大学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」アニュアル 2010』,pp.98-101,2011年3月
名古屋大学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」で行われた伏木啓氏の個展「Fragmentation」のレビュー.
9.展覧会レビュー「大名古屋電脳博覧会」,「芸術批評誌【リア】」27号,pp.109-110,2012年3月
名古屋市民ギャラリー矢田で開催された展覧会「大名古屋電脳博覧会」のレビュー
10.展覧会テキスト,「ポスト・インターネット」の質感NTTインターコミュニケーション・センター[ICC] ギャラリーA,東京,2012年1月−3月
インターネットが当たり前になった状況である「ポスト・インターネット」におけるアートの作品のあり方を考察した.ルイ・ドゥーラス,マリサ・オルソン,ジーン・マクヒューらのネット上でのテキストを参照しつつ,ポスト・インターネットというリアルとウェヴとが入り混じる状況では,ヒト中心主義から脱した作品の質感が求められていることを示した.また,テキストをもとにした発表も展覧会期間中に行った.

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